住民より利益
パプア州政府は、インドネシアにおけるパンデミック発生初期から迅速に「地域規制」を実施した数少ない自治体の1つである。州当局は2020年3月26日から6月4日まで、(日常生活に不可欠な業務のための貨物運送を除いて)すべての輸送路を閉鎖し、ソーシャル・ディスタンス政策を強化して域内外への移動を制限する決定を下した。ところが中央政府は、6月5日から現在に至るまでの緩和政策の実施を決定した。この政策は、社会的規制を緩和し、便数を制限しながらも航空機の運行を再開し、パプアを往来しようとする全旅客に厳しいチェックを実施するものだ。
他の地域が同様の措置をとることをためらう中、パプア州政府はいち早く、医療サービスの不備や医師や看護師の不足、陸路のアクセスの悪さなど、新型コロナウィルス感染症の急増を初期に抑制する上での課題に気付いた。パプア新型コロナウィルス対策チームのシルワヌス・スムル(Silwanus Sumule)報道官によると、同州には呼吸器科医が7名しかおらず、人工呼吸器が60台、WHO基準に満たない隔離室が200室あるのみだ。州の医療開発指数(Health Development Index)が国内最低値であることからしても、州政府がパプアへの人々の自由な移動を許可し続けることで市民を危険にさらしたくないと考えたのは無理もない。
州政府の徹底的な措置にもかかわらず、パプアはインドネシアで新型コロナ感染者数が最も多い上位10州に入り、2020年7月初旬現在の陽性者は2,027人だ。2020年3月半ばに7名だった陽性者数はこの3か月で急上昇した。パプア州で新型コロナ発生件数が最も多い県の1つがミミカ(Mimika)で、感染者の大半は世界最大の金と銅の採掘企業PTフリーポート・インドネシア(PT Freeport Indonesia)の操業地であるトゥバガプラ(Tembagapura)地区から出ている。5月26日、同社の従業員124名にコロナウィルス陽性が確認されたと報じられた。ミミカ県は感染拡大を抑えるために同社の採掘活動の一時停止を求める嘆願書をジョコ・ウィドド大統領に提出した。だが、政府は現在に至るまでこの嘆願書に返答していない。
ヤヤサン・プサカ所蔵資料より
ジョコウィが新型コロナ感染症の急拡大を抑える方法として選んだのは、全国規模の「厳格な」ロックダウンや地域隔離ではなく、大規模社会制限(Pembatasan Sosial Berskala Besar、以下PSBB)という緩やかなロックダウンの実施だった。彼はインタビューでインドネシア社会にロックダウンは相応しくないと主張し、人込みを避け、移動を制限すれば十分にウィルスの拡散を抑えることができるとの考えを示した。しかし、国の新型コロナ感染症対策本部専門家チームを統括するウィク・アディサスミト(Wiku Adisasmito)教授は、政府がロックダウンではなくPSBBを選んだ主な理由は、ロックダウンがもたらす経済、社会、安全保障上の影響がインドネシアにとって大きすぎるからだと説明した。
どう見ても、ジョコウィが最優先したのは国民ではなく経済の安定だった。いまだ陽性患者が報告されていなかった2月半ば、ジョコウィは、医療サービスやインフラを改善して感染爆発抑制策を講じる代わりに、ウィルス拡大による主に財政・金融方面への経済的影響を緩和するため、4つの指示(バイクタクシー運転手へのローン返済猶予、物資・サービス調達プロセスの簡易化・加速化、庶民ビジネス融資利払い支援、未就労者へのe-walletでの研修費支援)を出すことにした。さらに感染者が急増した後も、ジョコウィ政権はロックダウンの実施を拒み、緩やかなPSBB体制を敷いて「ニュー・ノーマル(新たな日常)」に戻るよう促し、経済を優先させてきた。
インドネシア政府はパプアにおいても、住民の福祉よりも経済を優先しようとした。ルーカス・エネンべ(Lukas Enembe)現パプア州知事が県域規制を提案したのを、内務大臣ティト・カルナビアン(Tito Karnavian)は批判した。エネンベはパプアに新型コロナの大規模感染を封じ込めるための十分な医療サービスがないことを懸念していたが、カルナビアンは地域的ロックダウンを急ぐ必要はないと主張した。何よりジョコウィ大統領が、先述のPTフリーポート・インドネシアの一時的な操業停止を求める嘆願書に決して返事をしなかった。
パプア州政府が地域規制の実施を続けることへの中央政府の懸念も分からなくはない。パプアでの完全なロックダウンは、天然資源の開発・採掘産業に関連する既存の資本循環を妨げる可能性がある。フリーポート社は経済成長への貢献が著しく、インドネシアの採掘事業の完璧な事例となっていて、パンデミック期間中も操業を認められている。フリーポート社は、スハルト独裁政権初期の外資法第1号(Number 1 of 1967 on foreign investment/ UU PMA)施行後に、第1世代鉱業事業契約(Contract of Work – CoW I/ Kontrak Karya)(1967-2021)を結んだ最初の外資系企業である。鉱業事業契約(CoW)はインドネシア政府とフリーポート社との間で結ばれた2段階の採掘権協定で、第1期(1967-1997)にフリーポート・マクモラン社(Freeport-MacMoran)は1万エーカーの土地の30年間にわたる採掘権を付与され、第2期(1997-2021)には採掘地域が260万ヘクタールに拡大された(ここにはアムンメ(Amungme)族とコモロ(Komoro)族という2つの先住民族の慣習地が含まれていた)。また、ジョコウィ政権下でインドネシア政府とフリーポート社との間にいくつか新たな契約が結ばれた。第一にCoWが特別鉱業事業許可(IUPK)に切り替えられ、フリーポート社は2041年の操業認可期限までの20年以上にわたる投資活動が保証された。第二に見返りとして、インドネシア政府は60兆ルピア(約38.5億米ドル)を投じてフリーポート社の株式51%分を所有することになった。
1973年に鉱山経営を開始して以来、フリーポート社は半世紀近くにわたって採掘事業を営んできたが、その間、生態系の破壊、慣習地からの先住民の強制退去と周縁化、人権侵害など、数々の問題への関与を疑われてきた。実際、51%の持ち株と、パプアにおけるフリーポート社の採掘レジームがもたらした負の影響とは比較にならないだろう。スハルトからジョコウィまでの歴代政権のエネルギー・鉱業政策には1つの共通点がある。それは資本循環の流れを妨げまいとする意志だ。結果、現在の新型コロナの世界的大流行のような危機が生じても、ミミカ県でのフリーポート社の1日の生産量には何の変化も起こらない。フリーポート社の従業員の多くがコロナに感染し、今回のパンデミックが危険なことは明らかであるにもかかわらず、同社は何事もなかったかのように操業を続けている。ミミカ県がインドネシア政府に要請したフリーポート社の一時操業停止が受け入れられることは、今も、おそらく今後も決してないだろう。
ここまで、パプアで資源関連事業を営む企業に対する規制では政府は曖昧な態度をとることを見てきたが、新型コロナの大規模な流行が懸念される先住民族の住む貧しい地域では別の課題が生じている。県中心部や農村部に暮らす先住民族にとって、日々の活動の規制が大きな問題となっているのだ。
先住民族の生活の問題
メラウケ(Merauke)県中部アスマット村(Kampung Asmat)(著者撮影)
パプア州メラウケ県を見ると、今回のパンデミックがいかにパプア先住民族の暮らしをより不安定なものにしているかが分かる。県中心部にはいくつかの地域にまたがってスラム地区が点在している。スラム地区には共通の特徴がある。人々は3世帯以上が集まって仮ごしらえの応急の小屋に住み、空港や港湾の日雇い貨物運搬人として、また廃品回収人や漁民として、インフォーマル・セクターで働いて生活を支えている。
メラウケの貧しい住民の大半は農村部の出身者だ。彼らはかつて狩猟や採集、農業、漁業、その他農村部の経済活動に頼って暮らしていた。だが、自分たちの故郷を出て県の中心部に移住を決める者が次第に増えてきた。南パプアで女性の権利を擁護する団体、elADPPER地域事務局のベアトリクス・ゲブゼ(Beatrix Gebze)によると、この移住現象の背後には主に2つの理由がある。1つは近代化の魅力であり、就業機会の多さや十分な公共施設の存在、政府のサービスが利用しやすいことなどだ。2つ目は南パプア州(Provinsi Papua Selatan)が新設される可能性がでてきたことで、(州都となる)県中心部に向かう人の動きが促されたことだ。
スハルト大統領の失脚で独裁政権に終わりが告げられ、インドネシアは改革の時代に入った。当時の民衆運動が要求していたことの1つに地方自治の実現があり、これは周辺地域と中心部との格差の削減を目的としていた。地方行政に関する法律1999年第22号の制定と施行により、地方自治(Otonomi Daerah/ OTDA)が始まった。そして地方分権化の結果、低開発地域では自治体の新設(Pemekaran Wilayah)が生じた。新たな自治体が生まれることで天然資源、人材、文化財などあらゆる資源の自治が可能となり、低開発地域の格差問題の緩和につながると期待が寄せられた。同法制定前のインドネシアには27州249県65市があったが、21年後にはこれが劇的に増加して34州416県98市となり、この下に7,024の郡および81,626の村落レベルの地域が存在することとなった。さらに法律2001年第21号の制定以来、パプアが特別自治体(OTSUS)となったことも、(県・市)自治体新設を促した。特別自治体になれば特別自治基金が配分され、地方政府はそこから(県・市)自治体新設というアジェンダのための資金を使った。
南パプア地区は自治体新設の対象となってきた。ジョコウィ大統領は2期目の最初の100日間、南パプア州の新設計画に大きな熱意を示し、大義名分として国家安全保障の強化と公平な開発を掲げた。だが、そのようなレトリックはエリートの発案によるもので、地元住民が心から求めたものではないと考えた方が良い。低開発地域での自治体増加に関しては、富の分配や「低開発」の解決が可能になるどころか、貧困が新設自治体に集中することを示す研究がでてきている(Faoziyah and Salim 2015)。
実際、近代化と地方自治体新設計画につられてメラウケ県にやって来た先住民の人々も、身動きの取れない中で貧困に直面している。彼らが集団で故郷や慣習地を去るのは、生活を改善したいという願いがあるからだ。しかし、彼らの期待はすぐに立ち消え、良い生活はおろか、貧困と不安定な非正規労働への依存という堂々巡りに陥ってしまう。パプア内外への移動規制によって空港は閉鎖され、港湾活動は停止されている。このため、旅客の出入りに左右される貨物運搬労働者としての彼らの日給に影響が及んでいる。さらに、彼らが行政上の問題を抱えていることも状況を悪化させている。彼らは不法移住者と見なされ、地方政府から合法的な県の居住者と認められていない。つまり、彼らはこのパンデミック期間に生活保護や社会的支援を優先的に受けることができない。
一方、農村部で暮らすパプア先住民はコロナ禍の現在、県中心部で暮らす先住民とは少し異なる状況に直面している。農村部の先住民の暮らしは環境の持続可能性に左右され、自給自足の必要に応じて狩猟や採集、漁業やサゴヤシの加工に頼る生活を営んでいる。不安定で貧しい都市の住民とは対照的に、彼らは新型コロナの大流行中に食糧不足を心配していない。農村部の先住民は集団で自分たちの慣習地に戻り、ビバーク(bivak)という木製の仮小屋を建ててサゴの収穫と加工に取り掛かり、農作物を育てて収穫物を食物庫に蓄えることができるからだ。
パプア州ボーヘン・ディグール県(Boven Digoel)カリ・カオ(Kali Kao)村の先住民、ワンボン・テカメロップ族(Wambon Tekamerop)がパンデミック中にサゴ(Pangkur)を加工する(ヤヤサン・プサカ所蔵資料)
サゴヤシ(メトロキシロン属)はパプアの先住民族の大半が主食とする植物だ。サゴはデンプン質を豊富に含み、炭水化物を生成する他の作物に比べて生産性も効率性もよいとされる(Bintoro et al. 2018)。サゴは湿地と泥炭地の両方に自生し、生活の糧となるばかりか、先住民族の宇宙観の中では神聖な価値を持つ植物でもある。例えば、サゴはマリンド・アニム(Marind Anim)族にとって、彼らと共通の祖霊デマ(dema)をもつ存在である(Chao 2019)。
ボーヘン・ディグール(Boven Digoel)県アンガイ村(Kampung Anggai)の先住民、アウユ(Awyu)族の長老アグスティアヌス・メアンギ(Agustianus Meanggi)の話では、先住民のほとんどがサゴを主食とする伝統的な習慣を「捨てた」上に「忘れて」しまっている。「我々はサゴを守り、食べるテテ・ネネ(tete nene、祖霊)を捨ててしまった。先住民としてのルーツを捨ててしまった」と彼は言う。村でサゴに代わってコメが徐々に主食となり始めたのは、政府が推進した移住計画の初期にあたる60年代半ば以降である。この計画はデール・ギーツェルト(Gietzelt 1989)が「インドネシア化」と呼んだプロセスの一環で、ジャワ人に代表される「文明人」との接触を通じてインドネシアの世界観を取り入れ、パプア人の間でインドネシアの国家主義的ナショナリズムを強める狙いがあった。この「同化政策」は、コメ栽培への強制転換により主食がサゴからコメに無理やり置き換えられるなど、結果的にパプア人の生活に数々の変化をもたらした(Singh 2008)。
アグスティアヌスは語気を強め、「だが、最近ではコメがサゴに取って代わっただけじゃない。アブラヤシ(パーム油)も我々のサゴ集落を破壊している」と締めくくった。アグスティアヌスは、アブラヤシ農園に対して慣習地の引き渡しを拒んだ村で数少ない一族の人間だ。彼の集落は、28万ヘクタール以上の森や湿地を民間企業の所有地に変えるタナメラ計画(Tanah Merah Project)の下で進められたアブラヤシ農園大規模拡大の影響を受けた。アグスティアヌスは先住民をとりまく状況を懸念しており、自分たちの土地を企業に売って先住民のアイデンティティを犠牲にすることは、ゆるやかな自殺行為だと考えている。アグスティアヌスは憤りを隠せず尋ねた。「彼らはなぜ金のために自分たちの母親を売ることをやめないのか」。
「汝の土地は母である」とはパプア先住民の哲学的信念だ。彼らは森林や土地を、土着の人間文明を保持している聖なる母として、食物と水の源として、彼らの宇宙観や伝統的価値観の中心をなす天然薬の最大の宝庫として、一族・部族の領域の象徴として扱う。しかし、金銭によるロビー活動や実利的な契約に基づいて土地の価値が商品化され売買の対象となる中で、慣習地の聖性は崩壊しつつある。
新型コロナの大流行が国民経済全体に打撃を与える中、パプア農村部に暮らす先住民にとって「サゴに立ち戻る」という選択肢は理に適ったものである。しかし現在、パプアの全ての先住民に「サゴに立ち戻る」機会が同様にあるわけではない。中には、自分たちの慣習地がアブラヤシ農園に併合され、土地権を失って大きな損失を被った者もいる。そもそも、先住民は「楽をして」お金と豊かな暮らしが手に入るという期待から彼らの土地を企業に引き渡す。しかもほとんどの場合、彼らは契約の法的条件に関する適切な説明を一切受けることなく契約書に署名する。これについては著者の研究結果から、アブラヤシ会社側が説明を意図的に省いて投資を円滑に進め、将来起こり得る一切のトラブルを回避しようとしているためであることが分かっている。先住民の人々は自分たちの慣習地がいつかは返還されるだろうと信じており、契約期限が切れた後に彼らの土地が自動的に国の所有になることについて何も知らされていない。結果、彼らは最終的には土地の無い先住民になってしまう。土地なしになると、特に今回のパンデミックのようなことになれば、食糧不足の問題に直面するであろう。
結論
奇しくも、食糧の安定供給を担うBulog公社(旧食糧調達庁)は目下、食糧不足に備えてサゴの備蓄を増やし始めた。Bulog公社が下した決断と発表はソーシャルメディア上で議論を巻き起こした。人々は、アブラヤシ農園や工業用植林地、その他国家経済計画など土地ベースの投資拡大のために大規模な土地転換を繰り返し、このインドネシア最東端の人々の主食であるサゴを「ないがしろに」してきた政策の偽善を批判している。現にパプアは、採掘開発や他のエリート寄りの政策に表れているように資本主義拡大の一つの場となっている。資本主義の拡大は、パプアの人々を経済開発のプロセスから置き去りにし、彼らの生活をさらに不安定で貧しく、不安に満ちたものにしている。加えて新型コロナの大流行が彼らの暮らしに困難をもたらし、これを悪化させている。新型コロナのパンデミックは、我々がパーム油や銅、石炭を「食べる」ことはできないという現実に、インドネシア政府の目を向けさせる機会となった。今後生じる「脅威」に我々が備えるには、そのような資源よりも、さらに多くの食糧とより優れた持続可能な生活が必要となるだろう。
elADDPPer地域事務局のベアトリクス・ゲブゼ、長老アグスティアヌス・メアンギ一家のみなさん、プサカ事務局長フランキー・サンペレンテ(Franky Samperente)、およびイクラ・アヌグラ(Iqra Anugrah)の諸氏からいただいた貴重なアドバイスと議論に感謝します。
2021年1月25日 公開 (2020年7月9日 脱稿)
翻訳 吉田千春および東南アジア地域研究研究所
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筆者紹介
ラッセラ・マリンダ(Rassela Malinda): ヤヤサン・プサカ・ベンタラ・ラキャット(Yayasan Pusaka Bentala Rakyat)研究員。ヤヤサン・プサカはインドネシアの市民団体で、現在はパプアのメラウケを拠点として環境正義と先住民族の権利のための活動を行う。ウェブサイトはこちらから https://pusaka.or.id/en/pusaka-or-id-english/。
Citation
Rassela Malinda(2020)「資本主義の拡大、COVID-19とパプア人の苦しみ」CSEAS Newsletter 4: TBC.