紙面上では、タイの状況は東南アジアの多くの近隣諸国ほど厳しくはない。4月28日現在、新型コロナウイルスの感染者数は3,000人をわずかに下回るに留まり、死者数も54人だ。中国を除き世界で最初に感染を報告した国であるにもかかわらず、タイが感染の大流行を防いだことについては、プラユット・チャンオチャ政権が飽きもせずに繰り返し続けている。マスク姿でのプラユットの会見や、コロナ感染症状況管理センター(Centre of COVID-19 Situation Administration)による連日の状況説明に見られるとおりだ。多くの人がすぐに気付いたように、この管理センターの略称は2010年の政治的弾圧期に設置された国軍の司令部を連想させる。何にせよ目に見えない敵との「闘い」は軍事的アナロジーに満ちている。
数字は嘘をつかないと言われる(我々もそう願う)。だが、楽観的な統計データや、「よくやった」という言葉の数々をよそに、現場での感覚は安心からは程遠い。現場では、一歩足を踏み外せば何もかも飲み込まれてしまう、恐ろしい何かが足下で口を開けて待っているような感覚だった。たとえ実際には落ちてしまうことがなくても、その下で起きていることの全貌を見せつけられた。そこには無秩序やコミュニケーション不足、複雑な21世紀型危機への対応能力の欠如、そして権威主義者の願望から出た失言などがあった。つまり、これらは6年前に軍事政権が権力を掌握して以来、タイを苦しめてきた全てであり、その責任は、昨年から「民主的」に生まれ変わった軍事政権にある。
最初から国民は落ち着けなかった。感染症が流行し始めると、マスクの供給をめぐって失態が続き、商務省は、必要な人は誰でもマスクを手に入れられるよう対応したものの、明らかに手際が悪かった。感染リスクの高い国から来る外国人の入国を制限しないという決断も、パンデミックの初期段階で下されたが、この決断は中国のご機嫌取りだと受け止められた。一方で、海外から帰国してきたタイ人たちは、複雑な隔離措置を強いられた。当局を脅かすまでに感染者数が増えると、首相は非常事態宣言を出し、これが実質的には緊急かつ必須の事業を除くほぼ全ての事業を停止させた。また4月の初頭には、午後10時から午前4時までの外出禁止令も出され、ウイルスの勤務時間という冗談も聞かれた。タイで最大の大型連休、4月半ばのソンクラーン祭り(Songkran Festival)が中止されたのは、帰省ラッシュを防止するためだったが、全ての店という店が休業を言い渡された以上、首都で過ごす手立ても無く、人々はすでに早めに帰省してしまっていた。
最も過酷な状況で働いているのは公衆衛生当局の人々、特に地方のボランティアで、油断することもなく事態を収拾している。だが4月後半に新たな感染者数が減るにつれ、恐ろしい光景が姿を現すようになった。ここまでの公衆衛生上の功績が、今度はありのままに露呈される経済的現実によって帳消しにされる恐れが出て来たのだ。ホームレスや失業中の人々が、慈善家の提供する食事をもらおうと並び、食べ物に並ぶ行列が生じ始めた。悪性の病原菌から人命を救えても、飢餓から人々を救えないのでは何の意味があるだろう。「魚が水に住み、米は田に実る」タイに、今も一袋の米をもらうため、焼け付くような4月の熱気の中、毎日行列している人が大勢いる。この事実には心が痛むばかりだ。全く嫌になる。
当初、政府は感染者数を抑えることを、それに伴う経済的影響への対応よりも重視していたようで、ようやく現金給付の救済計画を発表した頃には、少な過ぎて手遅れだと感じられた。その運営上の不手際は言うに及ばず、誰に受給資格があり誰にないのか、なぜそうなのかを巡ってソーシャル・メディアはほぼ毎日炎上した。4月27日には、ある女性が財務省の門の前で殺鼠剤を飲み、自殺行為による抗議を行った。彼女は一命を取りとめ、財務省は彼女が自分の状況を誤解していたこと、お金が受け取れることを伝えた。
本稿の執筆時点(2020年4月28日)で、政府は5月4日から規制緩和を開始すると発表している。(いつものことで)詳細は不明だが、非常事態宣言と外出禁止令は継続されるだろう。そして、プラユット政権が制御したがっているのは、ウイルスではなく、国民なのではないかという疑念が生まれた。また、ウイルスであれその他の問題であれ、この政府が何らかの問題に対処する際に、知性や共感、それに物理的、文化的、経済的影響が互いに密接不可分となった現代世界についての多面的な理解に基づく態度ではなく、厳罰的な態度を取るのではないかという疑念が生まれた。
もちろん、タイがそれほど悪い状況であるわけではないし、このウイルスも治まっていくだろう。それは確かなことと思われる。だが、事後に分析を行い、被害状況を調べる段階になれば、我々はコロナウイルス感染症が問題の一つに過ぎないと気が付くだろう。より大きな課題は、どのように誰一人取り残すことなく生き延びるのか。どのように真の強さによって立ち上がるのか。そして、我々がウイルスを振り払おうとしていた間に変わってしまった世界の本質をどう見るのかということだ。
2020年8月27日 公開 (2020年4月28日 脱稿)
翻訳 吉田千春および京都大学東南アジア地域研究研究所
筆者紹介
コン・リッディ(Kong Rithdee): 1997年よりバンコク・ポストで映画、文化、政治に関する記事を執筆。当初は専従記者で、現在はフリーランス。アジア・リーダーシップ・フェロー・プログラム(Asian Leader Fellow Program /ALFP)の元フェロー(2010年)。3本の長編ドキュメンタリー映画の共同監督でもある。代表作品に、タイにおけるムスリム少数民族を取り上げたConvert(2008)、Gaddafi(2013)がある。世界にウイルス情報が溢れる時代の動画の政治学に関心を抱く。
Citation
コン・リッディ(2020)「ウイルスの時代に生きる ──タイの記録──」CSEAS Newsletter 4: TBC.