2019年の終わりにミャンマーに襲いかかってきたのは、中国東部の武漢における致命的なSARSコロナウイルス、COVID-19に関するインターネットニュースだった。その頃のヤンゴンでは、誰が新型ウイルスに感染したかということに関してほとんど分かっていなかった。なぜなら、世界保健機構(WHO)のバイオセーフティレベル3に対応する実験室がヤンゴンの国立衛生研究所に開設されたのが、やっと3月半ばになってからだったためだ。ミャンマーは国内医療制度の水準が190カ国超のリストの最下位に近いことはよく知られているし、今回は緊急事態でもある。感染拡大に立ち向かうため、医療施設の寄付を求める要望も出ている。多くの医療従事者や一般国民の間で、個人用防護具(PPE)やマスクの数が限られている。最前線で感染者のケアにあたっている医療従事者に対して、陽性検査は十分に行われていない。この結果、局所的な感染例が発見された後にコミュニティ内の感染へ拡大していることも明らかとなった。ただしこれ以前は、欧米諸国で感染した人々が国内に持ち込んだものという知らせがあった。そして、不安があっても人との接触が避けられない大多数の人々は、緊急でない限り、病院へ行こうとはしない。

4月は暑い夏の盛りで、人でごった返す水かけ祭りで有名である。ところがお祭りは禁止されてしまった。道には人影もなく、干からびたままだ。にもかかわらず、感染者数の増加が判明した。最近では、保健省が新たな感染報告を深夜に発表するため、人々はFacebookでこれが更新されるのを待ち、夜更かしがひどい。ソーシャルメディアを通じ、「ステイホーム」と「ソーシャル・ディスタンシング」というスローガンを人々に強いている。ミャンマーで最も人気のあるソーシャルメディアであるFacebookはユーザーで賑わい、COVID-19感染対策委員会の委員長アウン・サン・スー・チーまでもが、「国民と対話するため」にアカウントを開設した。そこでは、彼女の収集したミャンマーにおけるコロナウイルス情報が投稿されている。

 

アウン・サン・スー・チーのFacebookページ(スマートフォン画面)

COVID-19拡散防止のため声明を出すアウン・サン・スー・チー

COVID-19予防の啓蒙活動のため手を洗うアウン・サン・スー・チー

 

4月23日の昼前、夏の日差しが焼け付くようだった。私の携帯電話が鳴った。ある私立病院からだ。電話の主は80代の男性で、マスクと手袋を付け、長く単調な話をとめどなく続けた。「話がしたい」と彼は言った。そのあらすじは、ある中年軍人が、中国とビルマの国境で、両国の交渉後に新たな国境マーカーを設置する任務に当たるというものだった。彼は中国の武器がありふれたヘッケラー&コッホのG3やG4ライフルとは違って、多用途で強力なスーパー・マシンガンだったと振り返った。彼の昔話は遥か1970年から75年にまで遡り、「君はあの頃のビルマでの、アヘンやヘロインなんかの違法薬物のこと、ビルマ社会主義計画党(BSPP)のことも知っていただろう」「国連が薬物戦争のためにと用意した機関銃を覚えているか」と言った。私は黙って彼の話に思いをめぐらせていた。彼はこう続けた。「もちろん彼らが用意した機関銃は少数民族一掃のための闘いに使われたさ」と。そして彼は6年前の悲劇を思い出した。「息子は45歳だったが、遠隔地雷で殺されたよ。そんなことがなけりゃ昇進してたはずでね。それまで多くの闘いに勝ってたんだから。」 彼はその戦闘について話し、続けて言った。「半年前に次男が死んだんだ。チクングニヤ熱で入院中だった。君も知ってただろ、去年の後半に大流行してたことは。熱の後で合併症を患ってたんだ。全然仕事を休まなかったもんでね。」

最後に私は尋ねた。「あなたは息子さんたちを愛していたでしょう。そして彼らもあなたを愛していた。」 彼は言った。「ああ、とても愛していたよ。赤ん坊だった君に息子たちはよく食べさせたし、君はよく食べたな。こんなコロナの時に外に出るんじゃないぞ。次は会って話そう。」

コロナの陽性事例などを報じる深夜ニュースをめぐるFacebookのメッセージは「ウイルスのように拡散した」が、最も不幸なニュースのはミャンマーのアラカン(ヤカイン)州北西部での戦闘が止まないという報道だ。当地では子供を含む村人たちが殺害された。新型コロナウイルス感染も予防も何もなかった。誰一人として攻撃停止の呼びかけに耳を貸さなかった。

4月最終週にFacebookは、今は亡き有名な政治犯「ウー・ウィン・ティン」の記念日を紹介した。この日を記念して、人々はおそろいの青いシャツ、ブラウスを着て集まった。格調高く鮮烈な青色さながらに輝かしい光景だった。残念なことに、私の知っている数名の元政治犯は、この明るい青色のシャツ、ブラウス姿を見せてくれなかった。彼らは一体どこに行ってしまったのだろうか。行方不明なのか、それとも忘れられてしまったのだろうか。こうして明るい青色のシャツ、ブラウスをみていると、ある地元の美しい女性医師が着ていた緑青色のブラウスを思い出す。彼女はFacebookにモデルとして登場し、人々に「手の洗い方」を教えていた。この投稿の前には、アウン・サン・スー・チーが、やはり手の洗い方を教えていた。女医は腰を左右に振りながら手の洗い方を教えてみせるのだった。

その翌日、世界銀行はミャンマーのCOVID-19緊急対策プロジェクトに対し、5,000万ドルの融資を承認した(ビルマの人口は約5,400万人)。理由は単純で、感染拡大を防ぐために政府は法規範を整えて国民に「ステイホーム」をさせ、これを地方自治体が四六時中強化したいと考えており、これにあたって生産活動や工場が一定期間閉鎖されている必要があるためだ。

炎天下の路上で鳥の餌を売る露店商が、緑青色のマスクを顎の下辺りまでずりおろして私に言った。「マスクは当局の人間が来たらちゃんとするよ。」 それで全く構わない。

 

2020年9月2日 公開 (2020年4月27日 脱稿)

翻訳 吉田千春および京都大学東南アジア地域研究研究所

 

サン・サン・ウー(San San Oo): 精神科の顧問医師として、ミャンマー、ヤンゴンのアウン・クリニック(Aung Clinic)で地域のメンタルヘルス・イニシアティブ・プロジェクトに携わる。チームリーダーを務める心身の健康のための統合的ケア・プロジェクトでは、重度の精神疾患患者に地域密着型の心理社会的介入を行う。また、研究者として世界保健機構(WHO)に協力している。目下、心理社会的障害や知的障害を抱えた人々の状況の評価と調査を行い、アウン・クリニックの地域メンタルヘルス・イニシアティブの成果を発信する任務に就いている。山間部の少数民族居住地域で、同僚とともに、コミュニティ組織や少数民族の医療組織であるBPHWT(Back pack health worker team)にメンタルヘルスケアのトレーニングを提供している。

 

Citation

サン・サン・ウー(2020)「コロナの時代に」CSEAS Newsletter 4: TBC.