Philippines

フィリピンにおけるワクチンの不平等
──パンデミックとワクチン接種プログラムが不平等をいかに悪化させたか

フリオ・アントン・ムラウィン・R・ネメンゾ
NGO「債務と開発に関するアジアの民衆運動(APMDD)」のエネルギー関連研究員(フィリピン)
Philippines

フィリピンにおけるワクチンの不平等
──パンデミックとワクチン接種プログラムが不平等をいかに悪化させたか

 

フィリピンが新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックに見舞われて1年が過ぎたが、回復の兆しはまだほとんど見えない。保健省は、1億人を少し上回る人口の国で感染者が120万人を超えたと発表した(DoH, 28 May 2021)。政府はさらなる感染拡大を抑えようと2020年3月、マニラ首都圏を暫定的に封鎖した。思い起こせば、ちょうど1年前の最初の都市ロックダウンであった(CNN Philippines, 12 March, 2021)。多くの企業は再び休業となり、数千人が職を失った。

ソーシャル・ディスタンシング措置やマスク着用の順守といったCOVID-19感染予防策を政府は行なったが、保健専門家は、ワクチンの大量接種によってパンデミックを抑制する必要があると述べている。これまでに国は医療従事者、高齢者、持病のある人を対象にシノバック社製、アストラゼネカ社製、スプートニク、ファイザー社製などのワクチンを用いて450万回の接種を行なった(ABS-CBN, 25 May 2021)。必要性と脆弱性に基づく優先リストに従い、所得がまったくないか十分にないことが証明された貧困者と制服着用職員は優先的に接種を受けられる(DoH, 2021)。政府のワクチン接種プログラム責任者カルリト・ガルヴェス(Carlito Galvez)は、まずは都市部を中心に年末までに5000~7000万人に接種することを目指すと明言している(ABS-CBN, 18 March 2021)。

こうした野心的な事業には行政機関の政治的意思が必要であるが、COVID-19感染拡大を食い止め、感染者に医療支援を提供する政府の専門能力、行政能力は多方面から疑問視されている。本稿は、フィリピン国内で切望される免疫獲得への道筋がいかにある種の不平等を助長しかねないか、そして、それが現在のワクチン接種プロセスにどう表れているかを考察する。

 

所得の不平等がCOVID-19パンデミック期間に拡大

COVID-19パンデミックはフィリピンの二層化された医療制度の欠陥を炙り出した。持たざる者は設備が悪く職員の少ない公立病院に頼らざるを得ないのに対し、富裕層は民間部門が提供する質の高い高額医療を受けることができる。これは現実問題として、COVID-19感染者が換気装置を完備した近代的な病院で治療を受けるか、設備の粗末な診療所で治療を受けるかに影響する。

パンデミックによる不平等の悪化は職場でも顕在化した。労働者の大半がインフォーマルセクターに従事する他の途上国と同じく、ロックダウンで数百万人のフィリピン人(特にマニラ首都圏在住者)が自宅から外出できず、収入を得ることも社会保障を受けることもできなかった。インフォーマルセクターで働いている労働者数は2110万人であったが(2008年から2017年)、2018年の社会保険加入者は10万9000人にすぎなかった(SSS, 11 November 2019)。一方、フォーマルセクターの労働者は在宅勤務への移行が可能で、安定した収入源を維持し、社会保障を受けることができた。

2020年は多くの世帯が困窮し、飢餓率は前年の21.6%から30.7%に上昇した。これは過去20年余で最も高い数値であった(Social Weather Stations, 27 September 2020)。政府は食料と現金を支給したが、マニラのスラム街では、支給額は1世帯80ドルで、これは数週間分の必需品をどうにか賄える金額であった(CNN, 25 May 2021)。先月、蔓延する飢餓に対応すべく数百のコミュニティ・パントリー(ボランティアによる食料配給所)が近隣や都市にできた。わが家の近くにあるコミュニティ・パントリーには、「余分なものがあれば分けてください。必要なものだけをお持ちください」という掲示があり、朝早くから長蛇の列ができている。

生きていくために「伝統的相互扶助(bayanihan)」に頼らざるを得ないフィリピン人世帯がいる一方で、エリート層はそうではない。報道によると、「フォーブス2021長者番付」に載ったフィリピン人17人のうち16人はパンデミック期間に資産を増やした。増加幅は合計で2兆2000億フィリピンペソにのぼり、これは2021年の国家予算の約半分に相当する(Rappler, 7 April 2021)。また、企業の最高幹部の給与と賞与は著しい景気後退の影響を免れただけでなく、実は増加した。たとえば、不動産・小売業大手アヤラの下級管理職の給与は17%減少したが、経営幹部の給与は前年と同水準であった(Rappler, 16 April 2021)。

 

ワクチン接種へのためらい—真の問題

フィリピンでは2021年3月1日に正式にワクチン接種が始まり、フィリピン国内最大規模の国立総合病院であるフィリピン国立大学付属病院のジェラルド・レガスピ院長がシノバック・バイオテック製ワクチンの接種を最初に受けた(Nikkei, 1 March 2021)。フィリピンは東南アジアでワクチンの調達が最も遅れていた国の一つで、接種開始が遅かった(CNN Philippines, 1 March 2021)。

フィリピン人人口に比べてワクチンが大幅に不足していることに加えて、この国が直面している重大な問題は、国民がワクチン接種に消極的であることだ。ランセット誌に掲載された調査結果によると、フィリピンは2015年にはワクチンへの信頼度が高い上位10カ国に入っていたが、2019年には70位に後退した(de Figueiredo, A. et al 2020)。昨年行なわれた別の調査でも、ほぼ誰もが感染への不安を感じているにもかかわらず、フィリピン人の60%以上はワクチン接種に消極的だという結果が出ている(Reuters, 26 March 2021)。

国民のワクチン不信の要因としてしばしば言及されるのは「デング熱ワクチン事件」である。フィリピン政府は2016年にフランス製ワクチン「Dengvaxia」を用いてデング熱ワクチン接種プログラムを開始した。数百人の子どもに接種後、デング熱に感染したことがない者にはワクチンは安全でない可能性があるという新たな情報が公表された。その結果、巷で大騒ぎとなり、「Dengvaxia」接種済みの子どもと親に不安が広がった(Pharmaceutical Technology, 16 Dec 2021)。捜査が行なわれ、訴訟も提起された。しかし多くの人々が納得できる結論は出ておらず、この事件がまだ尾を引き、国民に接種をためらわせている。

ソーシャルメディアの時代には、フェイクニュースや虚偽の情報が事実より速く広がることが多い。メディアのインタビューによると、ワクチンは血栓を誘発するものであり、裏づけとなる実証的データはなくとも、レモン、ショウガ、蜂蜜といった植物性の生薬でウイルスを防げると一般に信じられている(CNN, 25 May 2021)。セブ州のグウェンドリン・ガルシア州知事は無症状の感染者に、従来の医療に代えて蒸気吸入を推奨した(Philippine Daily Inquirer, 24 June 2020)。しかし、これが誤った療法であることはすでに立証されている(Reuters, 13 February 2021)。

5月半ば、保健省はワクチンのメーカー名について、接種直前に接種会場で告知するという方針を発表した(CNN, 20 May 2021)。それまでに二つの地区で、ファイザー製ワクチンを使用する会場に人が押し寄せたため、この方針にはワクチンの選り好みを防止する意図があった(Nikkei, 20 May 2021)。本稿執筆時点でこの方針は再検討されている。市民のインフォームドコンセントへの権利の侵害と考えられるからだ(Philippine Daily Inquirer, 22 May 2021)。ファイザー人気はおそらく次のような要因による。(1)欧米製ブランドが好まれていること、(2)臨床試験の結果ワクチンの有効率が高いと報告されていること(New York Times, 25 May 2021)、(3)西フィリピン海で緊張が続き中国への不信感があることである。明白なのは、政府が官民の資源を動員し、人気のある人物、影響力の大きな人物を採用してワクチン教育に積極的な役割を果たし、ワクチンのスティグマを払拭しなければならないということである。

 

要人のワクチン接種をあおる特権意識

国のワクチン接種事業は、官僚が優先対象者に割り込むなど不正なワクチン接種が多く、成果が危ぶまれている。内務大臣は2020年12月、一部の閣僚と大統領警備隊(PSG)の隊員が、ワクチンの緊急使用許可が下りる以前にシノバック製の密輸入ワクチンの接種を受けていたことを認めた(Philippine Daily Inquirer, 28 December 2020)。

ワクチンの供給が増えると、政治家など「コネのある」者の権利意識が表面化するようになった。これは、「インペリアルマニラ」の支配がそれほど強くない州政府の一部ではっきりと見られた。3月末時点で市長9人がワクチン接種を受けたと報道された(Philippine News Agency, 25 March 2021)。この時点では、医療従事者のみがワクチン接種の対象であった。ワクチン接種の特権は、政治家とその支援者のネットワークを介して徐々に上から下に広がってもいる。職種別の接種順はぎっしり詰まっていて、ワクチンが不足しているにもかかわらず、コネのある一部の著名人や市民は接種を受けており、リスクと利益が不平等に配分される無秩序状態を呈している。

ワクチンの割り込み接種が深刻化したため、世界保健機関(WHO)はフィリピン政府に対し、追加のワクチン供与を打ち切り、これまでの供与分について代金を請求する可能性があると警告した(Vice News, 26 March 2021)。食品医薬品局(FDA)はPSG隊員への不正なワクチン接種について調査する意向を示したが、調査したという話は5カ月たっても聞こえてこない(Philippines Daily Inquirer, 6 May 2021)。

COVID-19保健・社会プロトコルに違反したという理由で国は貧困者や低所得者を不当に厳しく罰していると感じている市民もいる。ごく普通の規則に違反して捕らえられた住民が過酷な処罰を受けている。たとえば、夜間外出禁止令に違反した若者5人は犬用ケージに収容された(Human Rights Watch, 26 March 2021)。一方、要人は処罰されず、せいぜい手首を1回打たれる程度である(Philippine Daily Inquirer, 6 April, 2021)。

民間部門もワクチン調達に大きな力を発揮することが可能で、政府のワクチン調達を手助けしている。この数カ月間、政府は民間部門によるワクチン調達に関する規制や基準の緩和に消極的ながら同意し、ワクチン接種を促進するために輸入税を廃止したり、企業が「随意に」購入することを認めたりしている(Philippine Daily Inquirer, 31 March 2021)。現在、ワクチンを購入したい企業は、ワクチン製薬会社を訴訟から保護する免責条件のために、政府および製薬会社と三者協定を締結する必要がある(CNN Philippines, 31 March 2021)。

民間部門は月15万回のワクチン接種を目標としており、持てる資源を動員して機能不全の公的医療制度を迅速に支援するものと予想される(Philippine Daily Inquirer, 23 May 2021)。多数の企業がワクチン接種事業に大きく貢献しようとしている。たとえば、ショッピングモールをワクチン接種会場とし、ワクチン不信を和らげる広報紙を発行し(Rappler, 14 May 2021)、従業員にワクチンを接種し(One News, 15 April 2021)、場合によっては調達したワクチンの一部を政府に提供している(Business World, 30 April 2021)。民間が調達するモデルナ製ワクチンの第一弾は2021年7~9月期に届くが(CNN Philippines, 11 May 2021)、価格は示されておらず、接種費用を払えない人々を疎外することなく接種をどこまで進められるのか定かでない。

これまでのところ、フィリピンでは地方自治体がワクチン接種事業の推進力になっている。ワクチン接種の地方分散化でワクチンの供給ペースが速まる可能性がある一方で、地方自治体の自治権が増すと、国家目標の達成を妨げかねない小規模の対立が生じるおそれもある。自治体レベルのワクチン接種はワクチン供給の迅速化を意図したものであるが、行政能力や行政資源に差があるため地方自治体の責務の拡大がもたらす結果は一様ではない。

 

TRIPS協定適用免除は「新たな黄金」へのアクセスを民主化する試み

ワクチン接種は各国で徐々に進んでいるが、さまざまな分野で不平等な制度が存続している。シンガポール、ブータン、中国では接種率が20%を超えているが、フィリピンは4%にとどまっている(New York Times, 27 May 2021)。

ワクチンはパンデミックで疲弊した世界の「新たな黄金」であり、ワクチン生産国(大半が先進国)は他の国々より早く危機から抜け出せる優位な立場にある。ワクチン・ナショナリズム(国がワクチンの使用に関する情報や原料を公開しようとしない現象)が広がり、2021年1月半ば時点で、世界の人口の16%を占めるに過ぎない高所得国がワクチン供給量の60%を買い占めている(The Guardian, 22 January 2021)。

一方、2月時点のデータによると、アフリカには世界全体の供給量の0.2%しか届いておらず(University World News, 11 February 2021)、130カ国(人口は合計約25億人)がワクチン供給を待たねばならない状況にある(World Health Organization, 5 February 2021)。インドはこの限りでなく、世界のワクチン生産の約60%を占め(Project Syndicate, 11 March 2021)、ワクチンを巧妙な外交手段にしている。ところが最近、感染者が急増し、自国民に接種するためにワクチン輸出を停止せざるを得なくなった(The Conversation. 7 May 2021)。

中国は生産力を誇示し、ワクチン外交を積極的に進めており、少なくとも5億1000万回分のワクチンを世界に供給した(Nature, 12 May 2021)。これは、南シナ海における中国の軍事力拡大行為を補完する協調対応だという見方もある。これはフィリピンで効力を発揮しており、グローバル超大国である中国はフィリピンの「恩人」だとドゥテルテ大統領は発言した(La Prensa Latina, May 4 2021)が、これは外務大臣がフィリピン海域への中国船の侵入を非難(CNBC, May 3 2021)してからわずか数日後のことであった。とはいえ、ワクチンをより広範な地政学的状況と切り離すのは難しい。

しばらく前から、ある議論が国際的な関心を集めている。世界貿易機関(WTO)のTRIPS(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)に規定された知的財産保護ルールをCOVID-19ワクチンについて免除するよう、多くの途上国が求めているのだ(Reuters, 24 March 2021)。これは、知的財産権を一時的に停止してワクチン原料の入手拡大を可能とし、ワクチンへの途上国のアクセスを民主化しようとするものである。情報共有が緊急に必要な世界的なパンデミック期には、特許は逆効果を招きかねないと保健専門家らは指摘している(The Economist, 20 April 2021)。こうした措置が道徳上および実際上明らかに必要であるにもかかわらず、西欧諸国やカナダ、オーストラリアなど富裕国は自国の戦略的利益の保護やイノベーションを口実に反対している(IP Watchdog, 24 March 2021)。それに対しバイデン政権は5月初め、知財保護免除への支持を表明したが、免除へさらに弾みがつくかどうかはまだ見通せない(BBC, 6 May 2021)。

フィリピンは免除への支持を徐々に示しつつある。現にカルロス・ドミンゲス財務大臣は最近、途上国のワクチン入手拡大への支持を表明した(ADB, 3 May 2021)。政府のそれまでの態度はあいまいで、フィリピンのWTO大使は、フィリピンとしては「建設的に耳を傾ける」べきだと話している。NGOなど知財保護免除を求める側からすれば、そうした政府の態度は日和見主義的である(筆者による聞き取り、2021年4月28日)。

ワクチンの不平等は不公正な制度の核心を突くものであり、その事例はさまざまなレベルで見られる。グローバルレベルでは富裕国がワクチンを買い占め、製薬会社は知的財産権を盾に自社の利益を守ろうとしている。国レベルでは公的なワクチン接種事業が、国民のワクチン不信で進展していない。そうした不信感を生んだのは虚偽の情報、デング熱ワクチンをめぐるフィリピンにおけるトラウマ的経験、中国のシノバック製ワクチンに対する抵抗である。さらに地方レベルでは、ワクチン接種プログラムが成功するかどうかは自治体の実施能力によるが、それは自治体によって大きな差がある。また、経済的・政治的特権を有する者は接種の順番を待たずに割り込んでおり、不平等をさらに悪化させている。

ワクチンはこの先もしばらくは大きな懸念材料であり、ワクチン接種を人々に保証することがリスクをはらんだ緊急の課題となろう。もつれた鎖をほぐすにはどこか一カ所を切ればよいが、この課題を解決するには複数の要因に対処する必要がある。いまのところ、この課題に徹底して向き合う以外に効果的なガバナンスを証明できるものはない。

 

2024年2月27日 公開 (2021年6月1日 脱稿)

 

参考文献

 

筆者紹介
フリオ・アントン・ムラウィン・R・ネメンゾ(Julio Anton Mulawin R. Nemenzo):
NGO「債務と開発に関するアジアの民衆運動(APMDD)」のエネルギー関連研究員(フィリピン)
化石燃料からの脱却を提唱しクリーンエネルギーへの移行を支援しているNGO「債務と開発に関するアジアの民衆運動(APMDD)」のエネルギー関連研究員(フィリピン)。その以前は、オフグリッド再生可能エネルギープロジェクトに関する学術研究に経済研究者として参加していた。2021年フィリピン大学ディリマン校経済学部を卒業(経済学士)。現在は読書、ランニングのほか、若者の団体でボランティア活動に従事。

ヘッダー画像: 大学の体育館がワクチン接種会場に(2021年5月26日、筆者撮影)

 

Citation

フリオ・アントン・ムラウィン・R・ネメンゾ(2021)「フィリピンにおけるワクチンの不平等 ──パンデミックとワクチン接種プログラムが不平等をいかに悪化させたか」CSEAS Newsletter 4: TBC.