Japan

COVID-19と治安部門ガバナンス
--東南アジアの議論から日本が学ぶこと--

木場紗綾
公立小松大学国際文化交流学部准教授
Japan

COVID-19と治安部門ガバナンス
--東南アジアの議論から日本が学ぶこと--

 

東南アジアと「われわれ」とをつなぐ、治安部門ガバナンスへの視点

本稿の目的は、東南アジアの新興国やポスト紛争国の問題と捉えられがちな治安部門改革(Security Sector Reform:SSR)や治安部門ガバナンス(Security Sector Governance:SSG)を、日本の課題として論じることである。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大を通じて浮かび上がってくる東南アジアの姿は、日本を映す鏡ともいえる。

COVID-19の世界的な拡大を受け、政府が防疫を理由に市民の自由を制限したり、軍や警察が市民の監視を強化したり、立法府がそれらに対する十分なチェック機能を果たすことができなかったり、また、権力を監視するべきメディアが弾圧されたりといったことが、程度の差こそあれ、世界中で起こっている。しかしここで、東南アジアの市民は当局からの規制や軍・警察の介入に対して従順で順応的であり、西欧民主主義諸国の市民は批判的である、といった単純な構図は成り立たない。

筆者が2020年3月に滞在していたドイツとオーストリアでは、スーパーマーケットの周囲を予備役や警察官が巡回し、ソーシャル・ディスタンスを呼び掛けていた。軍や警察が市民監視や治安維持といった任務に従事することは、COVID-19の拡大以前から欧米でも受け入れられつつある。たとえばベルギー国防省は2015年以降、十分な法的根拠のないままに軍を市街地での対テロ活動に従事させてきたが、それに対する世論の支持は8割近くに上っており、国民から軍への信頼度はむしろ向上した(Clerman 2018;Resteigne and Manigart 2019)。西欧におけるこうしたセキュリティ・ガバナンス1の再変遷を見ていると、東南アジアと西欧とのギャップは縮まりつつあるようにすら見えるし、むしろ東南アジアの側が「周回遅れのトップランナー2」なのではないかという気すらしてくる。

とはいえ、軍や警察や司法の組織や制度が公共の安全や秩序を保障するべく機能していない事例が、東南アジアやラテンアメリカの新興民主主義国において顕著にみられるのは事実である。積極的に政治に介入する軍、それを阻止できない政治家、避難民を迫害する国境警備隊、私兵や自警団に武器を横流して賄賂を受け取る警察官、警察と密通して違法ビジネスを取り仕切る反社会的勢力などは、その代表例であろう。

平和構築や紛争予防の世界では、紛争後の脆弱な国や地域では、外国ドナーが介入して軍や警察を「改革」するさいの手法が議論される。しかし、東南アジア諸国のように自律的な国家に対して、軍や警察の「改革」ばかりを求めることはあまり意味をなさない。軍を統制できない政治家、汚職を取り締まれない汚職対策機関、反社会的勢力に依存してしまう市民など、ガバナンスの構造的問題にこそ目を向けるべきであろう。これが、本稿で取り上げる治安部門ガバナンスの発想である。なお、ガバナンスという語の定義は後述する。

治安部門ガバナンスの基本的な考え方は、治安部門を取り巻くさまざまな主体(図のA、B、C、Dのすべて)の役割を確認し、議会やメディアやNGOによる監視能力を高め、軍や警察をルールで規律づけ、市民の安全や秩序を実現させようというものである。

図 治安部門ガバナンスの概念図
出典:Geneva Centre for Security Sector Governance (2019)より、筆者翻訳。

 

そしてこのアイデアを牽引するのが、スイスのジュネーブに本部を置くシンクタンクのGeneva Centre for Security Sector Governance(DCAF)である3。DCAFは世界各国で、軍や警察への助言や研修、国会議員への研修、専門家会合などを実施してきた。DCAFが2003年に出版した議員のためのハンドブック『議会による治安部門の監視』は、日本語を含むさまざまな言語に翻訳されている4

筆者は東南アジア政治を専門とし、過去17年にわたって、特にフィリピンとタイで調査を続けるなかで、DCAFの職員らとフィールドで出会い、交流を続けてきた。DCAFが2006年からASEAN議員会議(AIPA)のサイド・イベントとして東南アジアの各都市で開催してきた「治安部門ガバナンスのための議員会合5」にも、オブザーバーとして参加してきた。

日本では従来、治安部門改革も治安部門ガバナンスも、日本を含む先進国から脆弱国や新興民主主義国に対する国づくり支援やガバナンス支援といった「国際協力」の形態として議論されてきた6。しかし筆者は、DCAFの東南アジアでの活動に触れるうちに、日本こそは、自国の治安部門ガバナンスの課題に真摯に向き合うべきであると考えるようになった。

日本は決して、治安部門ガバナンスの優等生などではないのである。成熟した支援国として振る舞うだけでなく、東南アジアの歩んできた経路を参考に、日本なりの方法で、自国の課題について話し始めるべきである。これが本稿の主張である。

DCAFが2003年に出版した議員のためのハンドブック『議会による治安部門の監視』日本語版(左)とタイ語版(右)。(筆者撮影)

 

 

治安部門ガバナンスへの視点でつながる東アジア

それでは、日本の治安部門ガバナンスの問題とは何か。たとえば、日本では自衛隊の海外派遣にあたっては国会の事前承認が必要とされるものの、いったん派遣された自衛隊の常時監視や、事後検証のための制度(たとえば国会の派遣中止議決権)は十分とは言えない7。また、自衛官や警察官が、職場で上司や同僚によるセクシャル・ハラスメントや暴言、いじめといった不適格行為に直面した際に、組織内で、あるいは第三者に対して、すみやかに申し立てのできる制度(たとえばオンブズパーソン制度)も不足している。

こうした観点から、DCAFは近年、日本を含めた東アジアにも目を向けるようになった。そして2019年、DCAFは、東アジアの国と地域(日本、韓国、中国、モンゴル、台湾)を対象に、東アジアでの具体的なプロジェクトに着手した。そのために、各国の研究者や実務家が定期的に集まって自国の治安部門ガバナンスの問題について議論すること、そして年に1回、東アジア地域全体での会合を開催することが期待されている。

この構想に賛同して日本のパートナー団体を引き受けたのは、防衛大学校のグローバルセキュリティセンター8であった。現在、筆者は同センターの共同研究員として、DCAFのカウンターパートを務めている。

東アジアでの具体的なプロジェクトの一環として、2019年11月にソウルで開催された第1回の「治安部門ガバナンスのための東アジアフォーラム」には、東アジア地域の軍人、文民官僚、元外交官、NGO幹部、研究者などが出席して知見を交換した。中国人民解放軍の退役大佐と台湾の中華民国国軍の佐官らが同じテーブルで議論する稀有な会合であった。日本からも、現役自衛官(海上自衛隊佐官)を含む6名の研究者と実務家が参加した。

東アジア各国からの参加者と話してみると、安全保障環境の差異を超えて東アジア各地に通底するガバナンスの課題が、少しずつ浮かび上がってきた。権威主義体制下で特殊な政軍関係をもつ中国はさておき、少なくとも日本、韓国、台湾はいずれも、安全保障政策におけるジェンダーの視点の不足、軍や警察内部のいじめや暴行、それらに対する異議申し立て制度の不足、新たな装備品の調達における透明性、などの共通の問題を抱えている。たとえば台湾では2013年に、24歳の男性が兵役服務期間中に陸軍で体罰を受けて死亡したことを受け、数十万人の市民が国防省に対して抗議のデモを行った。韓国も日本も他人事ではない。

2019年11月、ソウルで開催された「治安部門ガバナンスのための東アジアフォーラム」。DCAF提供。

 

 

COVID-19から見えるもの:西欧とアジアとの意識ギャップ?

年が明けて2020年3月上旬、DCAFから、東アジア、南アジア、東南アジア各国のカウンターパートに対し、「COVID-19対策において治安部門が果たす役割に関する国際比較」の予備調査に協力してほしいとの要請があった9

「まずは大雑把に欧州とアジアとの比較をして調査項目を絞りたいので、とりあえずこの「仮の調査票」に対し、私見を述べてほしい」として送られてきた調査票には、29もの質問項目が含まれていた。以下はその抜粋である。

  • COVID-19が、人間の安全保障、伝統的安全保障に与える含蓄とは何か10
  • 貴国の既存の保健インフラに鑑み、COVID-19の(あるいは類似の/もっとひどい)脅威に対する主たる保健上の課題は何か11
  • パンデミックを防止・管理するための国家の保健部門の役割と能力はどのようなものか12
  • 貴国において、保健セクターと治安部門の協力にあたっての最大の課題は何か13

筆者を含め、DCAFのカウンターパートとなっているアジア各国の実務家と研究者らは、あくまで個人的な回答を用意し、書面で交換しあった。

まず特筆すべきは、東南アジア諸国からの反応である。3月上旬の当時、欧州各国はまだロックダウンを開始していなかったが、ベトナムを筆頭に、東南アジアのいくつかの国はすでに、中国からの入国制限や陽性者の隔離措置を実施していた。ときの権力エリートらの個人的な特性、スピーチや記者会見の内容、市民の移動の自由を制限する迅速な決断ぶりなどが、耳目を集めていた。そうした背景もあってか、東南アジアのカウンターパートらは、保健インフラの不備も、省庁間協力の不足も、すべてが権力エリートらの強権性や手腕に起因しているかのような議論を展開した。

筆者はそれを見て、「東南アジアらしい回答だ」と思い、DCAFに対して、「東南アジアの友人たちは、制度よりリーダーシップで論じているようだ。質問票の内容を再考するべきではないか」と意見した。

しかし、いざ自分が回答するとなったとき、筆者は、日本政府の対応について自分が持ちうる情報や視点が、東南アジアからのそれと酷似していることに気づいた。3月当時の日本の報道は、制度よりもむしろ、首相や閣僚、地方首長らの個人的な特性や言動、あるいは「現在の(安倍政権下の)官邸」の問題点に注目していた。

意外なことに、韓国と台湾からの回答にも同様の傾向が見られた。韓国と台湾の回答者(DCAFのカウンターパート)らはいずれも、社会科学分野で博士号を取得し、西欧諸国での研究経験を持つ陸軍の佐官であったが、彼らは、省庁間連携の不手際やメディアによる不確実な情報の拡散を憂慮し、その理由を、「政治家の説明不足」や「政治家と軍とのコミュニケーション不足」、「政治家による軍の政治利用」「文在寅政権の政策と軍の方針との齟齬」から説明した。

これらは、DCAFの期待した回答と異なっていた。DCAFが求めていたのは、「未曽有の感染症への対応に際しての国家のアカウンタビリティや情報開示」、「国民の信頼を得るための行政府の透明性」、「非常事態下でも憲法に基づいた法的措置がとられること」、「意思決定への市民参加」など、いわば、ガバナンス論の王道の観点からの課題分析であった14。リーダーの資質や言動ばかりに着眼し、具体的に何が問題なのか、どんな制度改革が必要なのかを特定しないアジア(東南アジア、東アジアとも)からの回答を、DCAF側は歯がゆく感じたようである。

なお、これに先立ち、筆者はDCAFの職員から、「アジア人は、“challenges”と“environment for governance set-up”とを混同している」と言われたことがある。DCAFは国際会議の場で毎回、各国からの参加者に対し、自国の治安部門ガバナンスの「課題(challenges)」を特定して説明するよう求めるのだが、アジアからの参加者は、「課題」ではなく、「現状(environment)」ばかりを述べるというのである。

筆者は肌感覚として、その指摘に深く同意している。そしてこれを、治安部門ガバナンスを論じる際に顕著に表れる、欧米とアジアとの「議論のしかた」の差異に由来するものであると考えている。

なお、これは決して、アジアの実務家や研究者が制度やガバナンスを論じないという意味ではない15。おそらく、議論の対象が治安部門ガバナンスであることが問題なのであろう。

 

東南アジアは「機能としてのガバナンス」を語ることを避ける

ここで改めて、ガバナンスの定義に戻ろう。

政治学者の河野勝は、ある国や地域が状態として統治(govern)されている状態を(たまたまそうである場合を含めて)「状態としてのガバナンス」、そのような状態を導くための規律づけのありかたを「機能としてのガバナンス」と呼び、両者を明確に差異化している(河野 2006:9-11)16。「状態としてのガバナンス」は、法や制度の拡充といった「機能としてのガバナンス」の追求の結果としても、または、それとは無関係にも成立する。たとえば「開発独裁」のように、強権的な政権下でも、高いガバナンス・パフォーマンスが示されることはありうる(河野 2006:14)。

この概念を借りて説明すれば、アジア(東南アジアも東アジアも)の実務家や研究者は、長期的な安定を支える「機能としてのガバナンス」のありかたを議論するよりも、自国の現状を「状態としてのガバナンス」として語ることを好む。少なくとも、治安部門について語るとき、その傾向があるように見える。

「機能としてのガバナンス」は、利害関係者にとってそのガバナンス・メカニズムがいかに効率的に機能しているかという観点から客観的に評価できる。たとえばシビリアン・コントロールの度合いは、国防大臣が文民であるかどうか、議会に将官の任命権限があるか、オンブズパーソンが軍の捜査権限を持つか、などの指標から測定・比較することが可能である17。これは、「民主的でない」とされる国々にとっては、好ましくない議論である。

一方で「状態としてのガバナンス」は、その効果を一律に国際比較できるものではない。よって、機能としてのガバナンスが確立されていない東南アジアの国々の議員や実務家らは、こちらを議論することを好む。仮に国家が暴力を独占できていなくても、自警団や私兵による暴力が蔓延していても、「これが我が国のセキュリティ・ガバナンスのありかただ」という現状肯定の持論を展開する。制度改革を強く希求する改革派の実務家や研究者さえも、理想と現実があまりにかけ離れているために、「これが我が国のハイブリッド・セキュリティ18なのだ」などという議論で、「機能としてのガバナンス」を語ることを避ける傾向がある。DCAFが過去15年にわたって東南アジアで開催してきた国際会議では、そうした光景が頻繁に見られた。

もっとも、河野の定義からすれば、そうした国々のセキュリティ・ガバナンスは、「状態としてのガバナンス」ではない。河野は「状態としてのガバナンス」を、「それが成立していることによって何らかの公共財が提供されている状態」と定義する(河野 2006:16)。たとえば金融機関のコーポレート・ガバナンスを例にとると、株主や消費者は自分自身の利益のために、金融機関を適切に規律づけようとする。同時に、もし個々の金融機関がそのように適切に機能していれば、国家全体の金融システムが安定し、外部効果としての公共財が提供される。

つまり、新興民主主義国にしばしばみられるような、軍や警察が自警団や私兵と違法な取引をした結果としてとりあえず安定しているように見えるセキュリティ・ガバナンスは、その国家や域外諸国に対して公共財としての治安を提供している状態とは言えない。非民主的な現状を「我が国流のガバナンス」として肯定してしまう態度は、河野の定義では、ガバナンス論とはいえないのである。

 

アジア型の議論の効用?

それにもかかわらず、DCAFはこうした(DCAFから見れば方向性の異なる)ガバナンス論も許容する。制度改革を強要して警戒されるよりは、当該国の議員や市民社会組織との人脈を形成しつつ、少しずつ風穴を開けていくほうが建設的だからである。

たとえばアロヨ政権下(2001-2010年)のフィリピンでは、DCAFの支援を受けて、野党議員や研究者、改革派軍人らが緩やかな会合を続けていた(Hernandez 2014)。彼らは、当時横行していた国軍によるものとみられる政治的殺害や人権侵害を阻止することはできなかった。しかし、2010年にアキノ新政権が発足すると、この会合の参加者らが各省庁の次官級ポストや顧問に就任し、国軍改革を牽引した。その時に役立ったのが、野党時代に築いた軍人らとのネットワークであった。

これは、ガバナンスが何であるかを厳密に定義せず、特定の政権や国軍を責めず、軍人を含むできるだけ幅広い関係者の参加を促し、緩やかにガバナンスを語るような会合のありかたが、結果的には改革に結びついた一つの事例である。

2014年11月にDCAFがフィリピンで開催した「治安部門ガバナンスのための議員会合」には、同年5月のクーデターによって失職したタイの元下院議員、退役将官、研究者、NGO職員らが参加していた。彼らはクーデターを否定はせず、治安部門「改革」という表現も好まないが、議論の場には出席する。DCAFが、Geneva Centre for the Democratic Control of Armed Forcesというかつての名称から現在の名称(Geneva Centre for Security Sector Governance)に変更したのも、こうした国々への配慮からであった。

 

東南アジアに倣い、臆せず現状を議論することから始めよう

民主的な制度をもつ東アジアの日本、韓国、台湾の実務家や研究者も、「制度」ではなく「現状」について語る傾向がある。軍の民主的な統制の制度は充実しているにもかかわらず、である。

なぜか。主要な理由は、西欧的なモデルがあまりに遠すぎて、その国で奔走する実務家にとって、よい見本にはならないせいであろう。

自衛隊のありかたに関する報道や論説をみてみよう19。自衛隊の法的位置づけ、「PKO5原則」と実際に要求されるPKOミッションの内容との乖離、安全保障に対する国民の関心の度合い、女性自衛官の割合の少なさなど、「現状」の指摘はあふれている。しかし、では防衛省のアカウンタビリティと透明性をどう高めるか、どのような法改正が必要か、議会はどのような役割を負うべきか、という具体策の話になると、実務家も研究者も、「欧米の制度はお手本にはならない」、「日本の自衛隊は特殊だから……」と、現状を憂えては、「あれも、これもできない」とする態度が先行しがちである。韓国も台湾も同様の「自国特殊論」に陥っているように見える。

こうした現状を勘案すれば、たとえば、DCAFが得意とする、議会による治安部門の監視やオンブズパーソン制度について論じる会合に、日本の国会議員や防衛省内局の幹部を招いても、具体的な提案を得ることは難しいだろう。

だからこそ筆者は、日本はDCAFの東南アジアでの経験から大いに学ぶことができると考えている。

他国のモデルが日本に合わないのであれば、あえて日本特殊論に立ち、徹底的に日本的に、日本の問題だけを話せばよいのではないか。東南アジア諸国でされてきたように、ガバナンスが何であるかを厳密に定義せず、まずは、好きなように現状を語ることから始めてはどうか。

現在、DCAFは、各国政府のCOVID-19への対処策を軸として治安部門ガバナンスのありかたを評価・検討することを、東アジア諸国に対して声高に呼びかけている。防疫の名のもとの措置や緊急立法を国民がどこまで寛大に受容するか、議会はどんな役割を果たしたのか(あるいは果たさなかったのか)といったテーマは、韓国でも台湾でも、すでに政策的議論を喚起しているという。日本でも、憲法の非常事態条項の現状について各自が考える問題点を話すことは、議論のきっかけとなるだろう。(筆者は現政権の改憲案を支持しているのではない。しかし、憲法に関する議論をとにかく忌避するような態度も、ガバナンス論には好ましくないと考えている。)

未曽有の感染症の拡大といった非常事態において、市民は政府をいかに監視すべきか。迅速な行政命令と議会承認のバランスをどうすべきか。憲法の非常事態条項を論じる上で、透明性のある議論のプロセスをどう確保し、多様な市民の参加をどう実現させるか。

政権与党は憲法改正案の提示を急ぐかもしれない。戦略論者は「あるべき論」を語るだろう。しかし、ガバナンスの議論はむしろ、安全保障論や戦略論とは明確に距離を置きつつ、「状態」をありのままに、冷静に見つめるところから始めるべきである。

COVID-19に限定せずとも、もっと身近な題材として、自衛隊の家族支援やダイバーシティ・マネジメント、いじめの現状を取り上げつつ、治安部門ガバナンスを考えることも意義がある。一足飛びに法改正やオンブズパーソン制度の導入を見据えるのはハードルが高い。まずは、国内あるいは地域の事情、現状から話せばよいのではないか。

重要なのは、従来よりもオープンに議論することである。自衛隊や憲法に関する議論をタブー視したり、すぐに白黒をつけようとしたり、他者の意見に「ダメ出し」をしたりしないことである。すでにある知見を、ガバナンス向上のための行動に結び付けることが重要である。たとえば自衛隊の家族支援については近年、「防衛計画の大綱」にも方針として盛り込まれるようになったが、現場としては、明確な指針がないまま「走りながら考えている」状態といえよう。同様にダイバーシティ・マネジメントについても、防衛省内局や自衛隊の駐屯地、部隊のそれぞれのレベルで、豊かな経験を持つ実務家が日々、さまざまな試論を展開し、実践しているはずである。それらの現場の努力を、治安部門ガバナンスの議論としてフレーミング(再検討)し、さらに、韓国や台湾といった近隣諸国の関係者らとそれぞれの事例を持ち寄り、本稿の冒頭に挙げたようなアジアの共通課題を見出し、解決策を論じるべきである20

治安部門について語ることは、途上国について語る国際協力/国際平和協力の研究者や実務家だけの仕事ではない。

日本の国会議員、現役自衛官や警察官を含む公務員、あるいはそのOB/OGは、日本の治安部門ガバナンスの重要な関係者であり、主体である。自衛隊や警察を規律づけ、省庁や議会を適切に機能させるための秘策は、彼/彼らに宿っている。COVID-19が明らかにしつつある日本の、そして東アジアの具体的な課題を糸口として、治安部門ガバナンスの概念のもと、従来、結びつかなかった現場の人々の知見が、結集されることを期待している。

※ 本文はあくまでも筆者個人の見解に基づくものであり、DCAFや防衛大学校、その他の特定の組織の見解を記すものではない。

※ 本稿に引用した研究活動の一部は、科学研究費助成事業・基盤研究(B)「包括型コミュニティ・ポリシング:東南アジアにおける武装組織の社会統合モデル(20H04407)」および国際共同研究加速基金(国際共同研究強化A)「変化する警察-軍関係と民主的セキュリティ・ガバナンスの課題(18KK0346)」(いずれも代表:木場紗綾)の助成を受けて実施した。

 

2020年7月24日 脱稿

 

参考文献

  • Bagayoko, Niagalé 2012. Introduction: Hybrid Security Governance in Africa. IDS Bulletin 43 (4): 1-13.
  • Chambers, Paul W. and Aurel Croissant (eds) 2010. Democracy under Stress: Civil-Military Relations in South and Southeast Asia. Institute of Security and International Studies (ISIS), Chulalongkorn University.
  • Claerman, Jens 2018. Operation Vigilant Guardian en militaire openbare ordehandhaving doorgelicht: de juridische zin en onzin van militairen op straat. Masterproef voorgelegd tot het behalen van de graad Master of Laws in de Rechten.
  • Fluri, Philipp, Anders B. Johnsson, and Hans Born 2003. Parliamentary Oversight of the Security Sector: Principles, Mechanisms and Practices (Handbook for Parliamentarians 5). IPU-DCAF. 国立国会図書館調査及び立法考査局訳(2008)『議会による安全保障部門の監視』(調査資料2008-2).
  • Geneva Centre for Security Sector Governance 2019. The Concept of Good Security Sector Governance.
  • Hernandez, Carolina G. 2014. Security Sector Reform in Southeast Asia: From Policy to Practice. In Felix Heiduk (ed) Security Sector Reform in Southeast Asia, pp. 23-53. Palgrave.
  • Kasuya, Yuko and Hans H. Tung 2020. Taiwan has a lot to teach Japan about coronavirus response: Shinzo Abe should have followed Tsai Ing-wen’s model and recruited experts. Nikkei Asian Review April 20.
  • Lui, Dawn 2020. Impact of COVID-19 on Security Sector Governance. Geneva Centre for Security Sector Governance.
  • Resteigne, Delphine and Philippe Manigart 2019. Boots on the streets: A “policization” of the armed forces as the new normal? Journal of Military Studies 8 (Issue 2019): 16-27.
  • Yasutomi, Atsushi and Saya Kiba 2020 (forthcoming). Military Sociology in Japan. In Martin Elbe, Heiko Biehl and Markus Steinbrecher (eds) Social Research in the Armed Forces: Positions, Experiences, Controversies. Zentrum für Militärgeschichte und Sozialwissenschaften der Bundeswehr.
  • 足立研幾編 2018『セキュリティ・ガヴァナンス論の脱西欧化と再構築』ミネルヴァ書房.
  • 上杉勇司・藤重博美・吉崎知典編 2012『平和構築における治安部門改革』国際書院.
  • 大島佳代子・川上敏和・木場紗綾 2018「平和安全法制を学際的に考える」『同志社政策科学研究』19 (2): 71-92.
  • 粕谷祐子 2020「台湾と日本、コロナ対策の大きな差…「政治制度」が影響していた:令和の政治改革に向けて」『現代ビジネス』2020年5月3日.
  • 川中豪編 2018『後退する民主主義、強化される権威主義──最良の政治制度とは何か』ミネルヴァ書房.
  • 河野勝編 2006『制度からガヴァナンスへ──社会科学における知の交差』東京大学出版会.
  • 本名純 2020「東南アジアにみる新型コロナ危機の政治インパクト」『国際地域研究所・国際情勢解説』2020年No. 4.
  • 清水展 2017「東南アジア・ASEANの可能性と日本の関わり──たとえばグローバル化するフィリピンの例から考える」『多文化社会研究』3: 131-163.
  • 外山文子・日下渉・伊賀司・見市建編 2018『21世紀東南アジアの強権政治──「ストロングマン」時代の到来』明石書店.

 

注釈

  • 1 西欧と非西欧のセキュリティ・ガバナンスをめぐる理論整理は、足立(2018)に詳しい(同書は「セキュリティ・ガヴァナンス」と記載)。治安部門ガバナンスとセキュリティ・ガバナンスの概念の違いについては、稿を改めて述べたい。
  • 2 この表現はしばしば使われるが、筆者は、日本を映す鏡としてフィリピンを論じた清水展の議論(たとえば清水 2017)を特に念頭に置いている。
  • 3 読み方は「ディーカフ」。かつてはGeneva Centre for the Democratic Control of Armed Forcesという名称であったが、2018年に変更がなされた。
  • 4 Fluri et al (2003)。日本語訳は国立国会図書館調査及び立法考査局の調査資料として2008年に作成され、国立国会図書館のウェブサイトで公開されている(https://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/document2008.html)。
  • 5 Inter-Parliamentary Forum on Security Sector Governance in Southeast Asia.ドイツのフリードリッヒ・エーベルト財団などの財政的支援を受けて、2006年から2017年までに計17回開催された。
  • 6 たとえば上杉ほか(2012)。
  • 7 これについては法学者の武藏勝宏が随所で指摘している。たとえば、2015年3月26日朝日新聞「海外派遣国会の事前承認必須」、あるいは大島ほか(2018)など。
  • 8 http://www.nda.ac.jp/cc/gs/
  • 9 DCAFは2014年のエボラ出血熱のパンデミックに際して、感染拡大国(アフリカ諸国)と支援国(主に欧米諸国)の治安部門と公衆衛生部門、民間団体などがどのような国際協調や民軍協力を模索したのかなどを調査した経緯があり、このたびのCOVID-19のパンデミックにおいても、同様の手法で比較調査と調査結果の出版を企画している。
  • 10 Which are the main human security implications, and are the main traditional security implications of the COVID-19 crisis in your country?
  • 11 Which are the main health challenges created by COVID-19 and similar (or worse) health threats, given the country’s existing health infrastructure?
  • 12 Which are roles and capacities of the national health sector in preventing and managing an outbreak?
  • 13 Which are the greatest challenges of cooperation between the health and security sectors in your country?
  • 14 こうした視点は、2020年5月にDCAFのブリーフィングノートとして公開されたLui (2020)や、DCAFのウェブサイトに掲載された“Security and Justice Reform Response to Covid-19 Crisis”と題する記事(https://issat.dcaf.ch/Learn/SSR-in-Practice/Thematics-in-Practice/Security-and-Justice-Reform-Response-to-Covid-19-Crisis)などに端的に表れている。
  • 15 日本の東南アジア研究においても、「ストロングマン」(外山ほか 2018)のように権力エリート個人に着眼した研究と、類似の問題意識を持ちながら制度について論じた「強化される権威主義」(川中 2018)
  •    のような研究がある。ごく最近の分析においても、たとえば粕谷(2020)およびKasuya and Tung(2020)は、政治家のバックグラウンドやリーダーシップ・スタイルの違いではなく制度設計の違いから、日本と台湾のCOVID-19対策の差異を分析している。また本名(2020)は、東南アジアに共通する現象として、「公衆衛生のための健康安全保障(health security)よりも、権力エリートの保身が前面にくる「体制の安全保障」(regime security)がコロナ対策の共通パラダイムになっている」と述べつつも、政権維持を至上命題とするようなそうした傾向が、国家のガバナンス(感染データの透明性向上や、政府と市民社会のパートナーシップ、複合的なステークホルダーの関与など)の問題を覆い隠してしまう危険性を示唆している。
  • 16 なお,河野はガバナンスではなく「ガヴァナンス」という表記を使用している。
  • 17 シビリアン・コントロールの測定方法はさまざまに提唱されているが、たとえばチェンバースとクロワッサンは、意思決定の5つの領域(エリート・リクルートメント、公共政策、国内治安維持、国防政策、軍の組織)に分けて分析している(Chambers and Croissant 2010)。
  • 18 ハイブリッド・セキュリティについては、平和構築の分野でさまざまな定義がなされており、Bagayokoが指摘するように、分析モデルとしても「行動指針」としても理解されている(Bagayako 2012)。
  • 19 自衛隊のありかたに関する書籍・資料は、学術研究よりも圧倒的にルポルタージュが多い。詳しくはYasutomi and Kiba (2020, forthcoming)。
  • 20 本稿は、民主主義以外の政治体制の価値を認めようといったような、いわゆる「アジア的価値」なるものを提唱しているわけではない。参考にすべきはあくまでもDCAFがアジア各地で実践してきた「議論の方法」のアジア的側面であって、治安部門ガバナンスのあるべき論の「アジア版」ではない。

筆者紹介
木場 紗綾(きば・さや): 公立小松大学国際文化交流学部准教授、防衛大学校グローバルセキュリティセンター共同研究員。神戸大学大学院国際協力研究科博士課程修了(政治学博士)。フィリピン大学第三世界研究センター客員研究員、在フィリピン日本国大使館専門調査員、在タイ日本国大使館専門調査員、衆議院議員秘書などを経て現職。
専門は東南アジア政治研究、国際協力論で、特にアジアの政軍関係やセキュリティ・ガバナンスに関する国際共同研究を実施している。
主な業績に、Security Sector Reform: Modern Defense Force Philippines (Ateneo de Manila University and Working Group on Security Sector Reform, 2014年、共著)、Japan’s Foreign Policy in the Twenty-First Century: Continuity and Change (Lexington Books, 2020年、共著)、平和・安全保障研究所編『アジアの安全保障2020-2021──コロナが生んだ米中「新冷戦」・変質する国際関係』(朝雲新聞社、2020年、共著)などがある。
2018年より公募技能予備自衛官(英語担当)。 https://researchmap.jp/saya_kiba

 

Citation

木場紗綾(2020)「COVID-19と治安部門ガバナンス ──東南アジアの議論から日本が学ぶこと──」CSEAS Newsletter 4: TBC.