1 国内の感染状況と政府の対応
カンボジアにおいて新型コロナウイルスの1人目の感染者が確認されたのは、今から4カ月ほど前の1月27日のことであった。陽性が確認されたのは1月23日に中国武漢からカンボジア南部の都市シアヌークヴィルへの直行便でカンボジアに入国した中国人であった。WHOは1月31日に「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。その後フンセン首相は2月5日に北京で習近平主席を訪問するなど、政府が事態を深刻にとらえていなかった感があることは否めない。象徴的な出来事として挙げられるのは、2月13日に世界各地で入港を拒否されたクルーズ船「ウエステルダム号」がシアヌークヴィル港へ入港することを認め、翌14日には一部乗客を下船させ、さらにはフンセン首相1自らがマスク無し姿で出迎えたことであった。
「2月末まで中国21都市から1日に25便の直行便がカンボジア入りしていた」(5月8日付プノンペンポスト紙)ことは中国への政治的な配慮を重視する一例と言える。2019年の統計によるとカンボジアに入国する外国人の内36%が中国人であり、アンコールワットなどの遺跡チケット購入者 の40%が中国 人である。圧倒的多数であり経済的インパクトが非常に大きいことから、観光業界は中国人旅行者に対しここ数年大きな配慮を見せている。
3月3日にシェムリアップを発ち翌4日に中部国際空港(愛知県)にて検査を受けた日本人の陽性が確認されると、そのニュースはカンボジア国内で大々的に報道され市民の間に衝撃が走った。またその日本人の濃厚接触者であるカンボジア人の陽性が7日に確認されると、国内におけるカンボジア人初の感染事例となり、カンボジア政府は新型コロナウイルス対策を強力に推し進めるように即座に舵を切った。7日直ちにシェムリアップ市内の全学校施設を閉鎖し、4月中旬の正月の時期に予定されていたイベント開催の中止を決めた。10日にはシェムリアップ市内の某スーパー入口の検温で37度を超えると入店を拒否する事例が見られた。同日マスクの価格が上昇し、米を買いだめする様子も確認されている。アンコールワット西参道の修復現場では遺跡作業員の指紋認証による出勤管理が、感染防止の観点より中止された。翌11日にはWHOがパンデミックを宣言した。16日には全国において小中高から大学まで全ての学校が閉鎖された。この頃、アンコール遺跡修復現場ではかつて依願退職しバイクタクシーなどの観光産業についていた元作業員が、復職を求めて現場に来る事例が報告されている。17日からは、イタリア、スペイン、ドイツ、フランス、アメリカからの入国が禁止され、翌日イランも追加された。また全国の娯楽施設(カラオケ、クラブ、ディスコ)や博物館に対しても閉鎖命令が出された。30日からは到着ビザ、Eビザ、観光ビザの発給が停止され、31日からは陰性証明がないと入国できない措置がとられた。
シェムリアップにおいて感染者が多く出た場合の隔離施設の設定はあまり知られていない。州病院、ジャヤヴァルマン7世病院に加えて、州の教員養成校など市内4カ所2の施設が少なくとも3月中に指定されている。
4月7日には国民に対し正月休み(4月13~16日)を無期限延期とし、通常通り勤務することを求めた。これは正月休みに帰省する人々の動きに乗じたウイルスの感染拡大を予防するための措置であり、4月11~16日にかけては州間を跨ぐ移動を禁ずる措置を講じた。4月12日に国内累計122人目となる感染者が確認されて以降、1カ月余り新規の感染者は確認されなかった。5月16日には国内での感染者の全てが治癒したことが確認され、この頃になると国民の間にはすっかり終息ムードが漂い始めていた。5月20日、政府は3月17日に出した入国禁止措置を解くことを発表した。同日保健省は文化芸術省に対し、6月1日から博物館を再開する許可を与えた。同日フィリピンからソウル経由でプノンペン空港に帰国したカンボジア人1名が翌21日に陽性と判明し隔離され、カンボジアでは39日ぶりに新規感染者が確認された。その後更にアメリカからソウル経由で帰国していたカンボジア人1名の感染も判明し、5月27日までのカンボジアにおける感染者数は124名となり、死者はいない。フンセン首相は5月24日自身のFacebook上で第二波への警戒を呼び掛け、引き締めを図っている。政府は感染予防と経済活動再開を求める声の間で今後揺れ動くことになりそうである。
2 アンコール遺跡群観光への影響
アンコール遺跡の入場チケット販売実績については、アンコールエンタープライズ3が各月の詳しい統計を公表している。遺跡入場について、外国人は有料であるがカンボジア人は無料である。外国人の動向は販売数で容易に確認できる一方、カンボジア人については統計がないため、正確な訪問者数を把握することは難しい。
チケット販売統計を見ると、1月末から急激な減少傾向が見られ、2月中は継続的に減少を続け、3月末には外国人旅行者がほぼいなくなったことがわかる。2月25日にはチケットの有効期間を延ばす特別措置4が発表され即日実施された。これに加えて3月5日アプサラ機構が管理するシェムリアップの博物館3館5について、2020年内の入館無料措置が発表された。しかし3月17日には全国の博物館の閉鎖が発表された。3月23日以降は1日当たりのアンコール遺跡チケット購入者数が100名を下回り、4月中は50名を超える日はなく、最小は4月12日の5名であった。本年4月の月間購入者数は654名であり、昨年4月は185,405名が購入していることから、前年比で99.6%の減少である。この状況の中でも、チケットの販売と各遺跡におけるチケットチェック体制が継続されたことは驚きであった。またアンコールワットを始め遺跡群そのものに対して閉鎖などの措置が取られることは無かった。ただし一時期自粛ムードにより実質的に閉鎖同様の閑散とした状況があったことは先に述べたとおりである。
なお2020年1~4月における新型コロナの影響による訪問客数の減少は明らかである一方、2019年は2018年に比しチケット購入者数、売り上げ共に前年比で15%減6となっていたことを申し添えておきたい。つまりアンコール遺跡の訪問者数は2018年をピークとして、減少に転じていた。今回の新型コロナはその流れに追い打ちをかける形となった。
3 明かりの消えた市内、パブストリート
夜のシェムリアップの町で最も多くの外国人旅行者が集まるのは市内のオールドマーケット地区にあるパブストリート周辺である。3月23日に観察すると多くの店はまだ開いていたが、ごく一部の店を除いて各店舗とも客より従業員数の方が多かった。集客のための路上生ライブ演奏がむなしく響いていた。28日に再度訪問すると、ほとんどの店は閉まっており電飾も消え人通りも少なくゴーストタウンの様相を呈していた。
電飾がほぼ消えているパブストリート(2020年5月16日午後10時)
夜間の外出を控える傾向はパブストリートのみならず市内広くにみられた。夜8時頃になると、市内を南北に走る主要道路の一つであるシボタ通りから車の姿がほとんどなくなり深夜の様であった。カンボジア人の中に我々の想像を一歩超える「怯え」が観察されたのである。カンボジア人たちは自主的に外出を自粛し、仮に外出した場合、あるいは知人・友人と会食した場合も、SNSなどにアップすることを控えるという行動と意識が見られた。
4 遺跡から人が消え、一足先にカンボジア人が戻り始めた
上智大学アジア人材養成研究センターはカンボジア政府アプサラ機構と共同でアンコールワット西参道の修復プロジェクト7に取り組んでいる。修復現場は新型コロナウイルスの影響を大きく受けることは無く、ほぼ通常通りの作業を続けている。修復現場に通いながらアンコールワットを訪れる観光客を定点観測すると興味深い傾向が窺えた。3月末の数日間から1週間ほどは外国人観光客と共にカンボジア人の参詣者の姿もほぼ見られなくなった。
この頃のカンボジア人の慎重さは想像以上であった。西参道の考古学専門家の中には、お札をアルコール消毒した上で天日干しする人もいた。スマートフォンに直接アルコール噴霧する人も見られた。多くの人がアルコールのミニボトルを独自に携帯していた。この頃市内のカフェでは椅子に座る前にアルコールを噴霧し、お釣りのお札にもアルコールを噴霧する姿が観察された。市内各所でアルコールが大量に販売され、不良品の販売も横行したため、政府は取り締まりを行った。各店舗に備えてある消毒用のアルコールを試用してみると、ジェルタイプや水で薄めすぎて揮発しにくいものなどその質は様々であった。
3月25日のことだが、アンコールワットの内参道の入口に立ち、通常最も多くの訪問者がいる午後3時に、人の居ないアンコールワットの写真を待つことなく撮影することができた。アンコールワットへ入る仮設桟橋(浮橋)も人の姿がなく、西参道で働く作業員の数の方がはるかに多いという極めてまれな光景が見られた。訪問者がこれほどまでに少ない状況は、過去20年間起こり得なかったことである。筆者が初めて訪れた1997年10月8はこれに近いものがあったと記憶している。
人の姿の無いアンコールワット(2020年3月25日午後3時)
一方で3月末のアンコールワットやバイヨンなど主要遺跡では、カンボジアの若者がSNS投稿が目的と推測される自撮り撮影をする姿が散見された。これはその後カンボジア人が大挙して遺跡へ向かうきっかけとなった可能性があることを指摘したい。
外国人とカンボジア人双方の訪問者がほとんどいないという状況は、その後変化し始めた。4月に入ると、徐々にカンボジア人の一家が幼子や年配者を伴い訪問する事例が増えていった。4月半ばのカンボジア正月の頃に急増し、その後一度は減少し波は引いたが、その後も概ねカンボジア人が増加する傾向は続いた。4月末になると、週末や夕刻に交通量が増え、遺跡地域のアンコールトム南大門や遺跡から町へ戻るジャヤヴァルマン 7世病院前の信号機付近では渋滞が見られるようになった。明らかに変化を感じる現象であった。
5月半ばになると、わずかではあるがこれまでのカンボジア人に加えて西洋人がガイドを伴い観光する姿が見られるようになった。西洋人は国外から来たというよりも、シェムリアップやプノンペンなどの在住者ではないかと思われる。また数名単位の中国人グループが目立つようになった。5月のチケット販売統計は未発表だが、4月よりは確実に増えているものと思われる。しかしながら、タイやベトナムの国際線乗り入れの制限が継続していることに加えて、カンボジア入国時の規制9もあり、国外から外国人が入国するハードルはかなり高く、5月の外国人旅行者の数も引き続きほとんどいないことに大きな変わりはない。
5 新しい動き
3月半ばよりカンボジア全土の学校が閉鎖となり、これは5月半ばの現在も継続しており、先般教育大臣は再開を11月以降としたい意向を発表した。一部の公立学校ではTVやオンラインでの授業や試験が行われていると聞く。この動きは今後さらに加速すると思われるが、Wi-Fi環境やスマートフォン、PC機材の有無など、地域差や各家庭の経済事情に大きく左右されるのは不可避と思われる。
一方でレストランは4月に入ると同時に一時閉店する店が多かった。老舗のバンテアイ・スレイレストランは4月1日に一時閉店し、4月22日に早々に再開した。マリス(シェムリアップ)やケマ・アンコールといったレストランも3月31日に閉店し、5月14日に共に再開した。一方で、外出自粛とレストラン閉店という環境下で急伸してきたのが食品のデリバリー業であった。複数の業者があるようだが、シェムリアップ市内で特に目立つのはFoodpandaという企業である。パンダのロゴマークの描かれたピンク色の箱を荷台におき、ピンクのユニフォームを着て顧客よりオンラインで注文を受け、客に代わって各レストランに注文して食品を受け取り、バイクで注文者の指定の場所まで届けるのである。3月末からその姿が目に入るようになったが、5月現在市内どこでも見かけるほど急成長した。他方で、仲介料を嫌って独自にデリバリーを行う、あるいはテイクアウトを行う店も多い。更には観光客用に土産物などを販売する店がランチなどのテイクアウトを新規に始め、従業員の雇用確保に努める動きも数多くある。
食品デリバリー業が盛況(2020年5月20日午後3時半)
4月以降、ラッフルズやソフィテルなど大型の観光ホテルは次々に閉鎖した。メリディアンアンコールホテルも4月1日から全館閉鎖していたが、7月1日からの営業再開を公表している。年内50%OFFの売り込みで他に先駆けて集客を試み先手を打った形である。
もう一つ新しい動きがあるので紹介しておきたい。カンボジアにおいては、近年マウンテンバイクが愛好家の中で大きなブームとなっている。しかし新型コロナウイルスによる外出自粛の風潮の中、人が集まりがちな市街地は危険だという認識で、自転車に乗り遺跡地域を目指すカンボジア人が急増したのである。特にこれまでマウンテンバイクと縁が無かったと思われる若いカンボジア人女性がお洒落をして、自転車で遺跡地域を走る姿を多く見かけるようになった。外国人の旅行者が乗っていたマウンテンバイクをレンタルし、あるいは裕福な家庭では数百ドルもの立派なマウンテンバイクを購入し、遺跡地域を颯爽と走り抜けるのである。老若男女どの世代もいるのが特徴である。某レンタル店の店主に話を聞くと「週末には1店舗で200台ものレンタル需要がある」という。自動車やバイクの乗り入れが禁止されているアンコールワット西参道前では、村の子供らが子供用の小型のマウンテンバイクに乗って走り回る姿もまた新鮮な構図として目に写る。
新型コロナウイルス騒動の最中、5月13日付プノンペンポスト紙は、「新シェムリアップ空港建設工事10は、3月15日に中国企業により工事が開始され、計画通りに2023年3月14日までに完成し、2030年には1,000万人、2050年までに2,000万人のハンドリングが可能になる」との関係者の言葉を掲載している。
6 カンボジアの検査体制と感染爆発が起きていない理由
5月27日までに確認されたカンボジア国内の感染者数が124名に留まることは先に述べた通りである。シンガポールやインドネシア、フィリピンでは1万人を超える感染者が出ていることに比し、カンボジアの感染者は圧倒的に少なく、今のところ国内において感染爆発は起きていない。カンボジアにおける新型コロナウイルス感染の検査機関はプノンペンにあるパスツール研究所11だけである。国内において新型コロナウイルスの診察や治療は各州にある政府指定の医療機関でのみ可能である。希望者が自らパスツール研究所に行っても検査を受けることはできない。CDC(Centers for Disease Control and Prevention=疾病予防管理センター)12カンボジア事務所のクメール語Facebookサイトによると、国内では5月27日までに19,000件のPCR検査が行われ、人口100万人当たりで1,144名に対して検査が行われたと発表されている。5月27日以前の直近1週間の検査数の合計は3,332件であり1日平均476名が検査を受けたことになる。ただし下は162名から上は1,750名までとばらつきは大きい。この数が周辺国の中で多いか少ないかは諸外国の事情を把握しておらず筆者には判断できない。
カンボジアにおいてなぜ感染爆発が起きていないのかを検証することは、今後の感染予防対策に有益な情報をもたらす。本稿執筆にあたり、資料を目にしながら感じたことは、パスツール研究所とCDCカンボジア事務所の貢献が相応に大きいのではないかということである。彼らがカンボジア保健省と協力することで、カンボジア政府が科学的根拠に基づき素早い対応をすることを下支えした可能性が高い。
当初、本当はもっと感染が広がっているが検査数が少ないために、把握できていないのではないかとの懸念が一般のカンボジア人の中にも大きかった。正月前にタイから数万人とも言われる労働者が国内の村々に帰国した際には大きな危機感を覚えた。帰省後の労働者は 高床住居の狭い居室内に大勢が雑魚寝する生活スタイルが想定され、急激な感染の広がりを大いに心配した。しかし、不審死などの情報や見えない感染症例などの噂を耳にすることはこれまでにない。未発見の感染者は当然相応数いると考えるのが自然であるが、それでも爆発的感染が国内で広がっているのではないかという疑念に対しては今のところ筆者自身も否定的になっている。
そこで感染が拡大していない理由や、背景として考えられることを列挙すると、①国土面積に比し人口の絶対数が1,660万人程度と比較的少なく、生活上の人口密度が小さく「密集」が発生しにくいこと、②人口構成上若年層が多く年配者が少なく、感染しても発症しない事例が多い可能性があること、③エアコンの普及率が低く、「密閉」となり難い開放的な造りの家に暮らすことが多いこと、④電車やバスなど「密閉」空間となりがちな公共交通が未発達であること、⑤庶民の移動手段は、バイクやトゥクトゥクが主体であり、「密接」ではあるが「密閉」空間となりにくいこと、⑥「3密」が起きやすい大規模なコンサートホールなどが少ないこと、⑦ウイルスを持ち込む感染源と考えられる外国人(旅行者)とカンボジア人の間には住み分けがあり、利用するホテルやレストランも異なる場合が多いこと、⑧東南アジア全般として欧米の様な爆発的感染が見られないことから、紫外線、高温多湿の気象条件などが影響している可能性が考えられること、⑨情報の収集が不十分であり、かつ一部情報統制が行われている可能性が無いとは言い切れず、情報の質に疑問があること、などさまざまな可能性が理由として考えられる。
東南アジアで死者が出ていないベトナムやラオスでも、大都市を除き農村部では近代化が進んでいないことから、同様の事情があると考えられる。他方シンガポールでは3万人超の感染者がいるにもかかわらず、死亡者数が非常に少ないのは医療体制が整っているからであろうか。
疑問は多くあるが保健衛生の領域は筆者は門外漢であり、これ以上の詳細な考察は控え今後の専門家による検証に任せたい。
7 ポストコロナ
カンボジアにおいては、フンセン首相による強力な意思決定により、新型コロナ対応に際しては足並みをそろえてきた。結果的にウイルス拡大の抑え込みには今日までのところ成功しており、首相の指導力はプラスに働いた面が大きい。
一方で2月以降新型コロナの問題が世界的に拡大して以降、日本人を含め中国人、韓国人に対しても特別な入国制限措置を講じなかった政府の姿勢には疑問も残る。中国はカンボジアへの最大の投資国であり、国内インフラ整備における中国の存在感は年々大きくなっており、カンボジアが中国に寄り添い継続的援助を期待する方向性は今後も続くと思われる。
これまでのところ、カンボジアは非常事態宣言を出すことはなく、外出禁止などの厳しい都市封鎖を行うこともなかった。しかしながら国内全般における一般的な医療体制の脆弱さを考えると、仮に感染が拡大した場合の対処の難しさは明らかであることから、今後も政府は慎重な対応を継続すると思われる。
3月27日付カンボジア外務国際協力省の通達には「アセアン諸国のとる措置に沿って(in line with the measures taken by ASEAN countries)」との表現もあることから、アセアン地域全体の新型コロナウイルス感染状況とそれへの対策の動向を見極めつつ足並みを揃えた判断を行うと思われる。特に陸で国境を接し、国内へ乗り入れる飛行機の経由地でもあるタイとベトナムの動向の影響を最も大きく受けるものと思われる。
観光地としてのシェムリアップのアンコール遺跡群がコロナ前の賑わいをすぐに取り戻すことは考えにくい。むしろ今想像する以上に長期化し影響が深刻化するのではないだろうか。観光業にとっては1年で最大の稼ぎ時となる繁忙期と新型コロナの広がりが重なったことは痛手だった。現在既に繁忙期が過ぎ去り閑散期に入ったことから、早くて2020年年末以降の繁忙期をどのように迎えるかを経営陣は考えることになる。特にシェムリアップは観光都市であり、今後も観光が経済の柱であることに変わりはない。
中国人観光客を中心に据えた偏った観光政策の継続は、西洋人観光客やリピーターを失うことに繋がっている懸念があり、これを機に再考の動きが出ることを期待したい。しかしながら皮肉なことに5月末現在わずかではあるが中国人旅行者が他に先駆けて遺跡観光に戻りつつある。早期の経営回復を求めるあまり中国人観光客に過度な優遇政策がとられないよう警戒が必要である。
3月以降実質的に研究者がカンボジアへ自由に入国できる環境は失われていることから、本稿の記録が空白を埋める一助となれば幸いである。
新型コロナウイルスの社会全般への影響は世界の例に漏れず、カンボジアにおいても長期化の様相を呈している。1日も早い終息を願うばかりである。
2020年5月29日 脱稿
注釈
- 1 5月26日付英字新聞プノンペンポスト紙によると、6月初めにフンセン首相補佐官らが編集するHun Sen: The Dashing Hero Who Went Against the Current to Fight Covid-19(英訳)というタイトルの本の出版が予定されているという。
- 2 3月31日にシェムリアップの領事事務所から得た資料によると、Provincial Teacher Training College Siem Reap、Teacher House of Siem Reap Province、Dormitory、New Riverside Hotelの4カ所である。
- 3 アンコールエンタープライズは2016年1月からアンコール遺跡のチケット販売を行っている。販売についての詳細な統計を下記のサイトで公表している。https://www.angkorenterprise.gov.kh/
- 4 2月25日から6月25日までの期間限定で、1日券(37ドル)は2日間有効、3日券(62ドル)は5日間有効、7日券(72ドル)は10日間有効とした。
- 5 3館はPreah Norodom Sihanouk-Angkor Museum、Angkor Ceramic Museum at Tani、MGC Asian Traditional Museumである。Angkor National Museumはこれに含まれない。
- 6 2018年のアンコール遺跡チケット販売数は合計2,590,815枚、売り上げ総額は116,646,685ドルで共に過去最高を記録した。対して2019年は2,205,697枚、98,988,894ドルであり、販売数と売り上げ総額が共に前年比で15%減少している。
- 7 第1期工事は1996年8月から2007年11月まで。第2期工事は2016年5月から2024年5月までの計画で現在進行中である。
- 8 1997年7月5日にカンボジアの首都プノンペンで大規模な戦闘が発生し、この年は観光客が激減した。筆者が訪れた同年10月においてもアンコールワットの訪問者は非常に少なかった。
- 9 5月20日現在カンボジアでは、入国者全員をいったん強制隔離してPCR検査を行っている。また入国時に、陰性を証明する健康証明書と5万ドルの保険加入証書の提出を義務付けている。
- 10 2020年5月13日付プノンペンポスト紙によると、シェムリアップ新空港は2017年10月にカンボジア政府と中国国営企業との間で合意された55年間のBOT方式で建設される。シェムリアップ市の東ソニコム地区の750haの土地に8億8,000万ドルで新空港を建設する。今般の契約は2040年に期限の切れる仏グループとの独占契約に取って代わり結ばれた経緯がある。
- 11 カンボジアのパスツール研究所(Institut Pasteur du Cambodge https://www.pasteur-kh.org/)は1953年12月プノンペンに設立された。母体は1887年にルイ・パスツールの狂犬病ワクチンの開発成功により世界各国から集められた寄付金によって、フランスのパリで設立されたパスツール研究所。現在26カ国に33の研究所を擁する。東南アジアではカンボジア、ベトナム、ラオスにある。
- 12 CDCはアメリカのジョージア州アトランタにある保健社会福祉省の下部機関である。2002年にカンボジアに事務所を開設した
(https://www.cdc.gov/globalhealth/countries/cambodia/default.htm)。クメール語のFacebookには日々のPCR検査数が詳細に報告されている。カンボジアにおける新型コロナ対策と密接な関係があることがこのことから推察される。
筆者紹介
三輪 悟(みわ さとる): 1974年東京生まれ。1997年日本大学理工学部建築学科卒業。1997年より上智大学アンコール遺跡国際調査団に参加し同年10月よりカンボジア調査に参加。1999年日本大学大学院理工学研究科修了。同年5月より現在までカンボジア駐在。2018年9月より上智大学特任助教。カンボジア政府アプサラ機構と上智大学の共同プロジェクトとして、アンコールワット西参道の修復工事ほか現地業務全般を担当している。
Citation
三輪 悟(2020)「新型コロナウイルス──カンボジアの事例──」CSEAS Newsletter 4: TBC.