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歴史的な視点からみたラテンアメリカにおける疫病とブラジルでのクロロキシン

マルコス・クエト
ブラジル・オズワルド・クルス財団教授
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歴史的な視点からみたラテンアメリカにおける疫病とブラジルでのクロロキシン

20世紀のラテンアメリカにおける疫病に関する歴史研究には、疫病に対する政府の姿勢の根底に流れる考えを分析したものがあり、そうした研究は、ラテンアメリカにおける新型コロナウイルスに対する政策を理解するうえで重要である(Cueto & Palmer 2016)。根底に流れる考えとは、「生き残りの文化」という概念に集約できる。つまり、疫病の制圧は何よりも近代的な技術の問題であって、その目的達成は少数の専門家の手にゆだねられるべきであるとする考え方である。もっと言えば、その考えは、「合理性」が、その他の公衆衛生をめぐる実践─それか家族伝来のものであれ、先住民のあいだのものであれ、あるいはアジア系やアフリカ系の人々のものであれ─国家から原始的として非難される、その他の実践に対して押しつけられるべきである、とする。そうした技術的な刷り込みは、堅固な公衆衛生制度の構築を遅らせ、またその制度への社会の参加を軽視する結果をもたらした。技術の凱歌は、人口の大多数の生活状態を向上させることなく、疫病を制圧することができることを謳うようなっていったのである。社会改革のために闘うことは、医療に従事する者の責任ではない、とし、手に入る資源を使って緊急事態に対処するだけでよい、というのであった。こうして、疫病への政策は緩和的、垂直的、権威主義的なものとなり、かつエリートが社会にとって都合がいいと考えるところに向けられた。そのような断片的な政策は、医療サービスへのアクセスを認められない人々、つまり完全な市民とは見なされない人々の存在を常態化した。そして、幾つかの場合においては、公衆衛生のための効果的な行動が強調され過ぎて、そうした行動をとらない貧困層の人々に対し、その運命は自ら蒔いた種の帰結だ、と批判したのである。しかも、なぜ、貧困地区においてそうした行動をとることが困難であるかを問うことはなかった。別の言い方をすれば、緊急事態から暫定的に抜け出ることを目的とする、公衆衛生の限定的な考え方を醸成したのであった。同時に、公衆衛生は、社会的に恵まれない人々が生き残るための、消毒、予防接種、薬、病院などといった恩恵と同義である、とする短期的な捉え方も生み出した。このようにして、病気に対する諦念が形成され、またそうした公衆衛生の支配的な捉え方によって、資本主義の最善の考え方が保障すること─場所、社会階層、性別、民族など生まれながらの属性に関係なく、機会の平等を保障し、能力と努力にもとづいて個人が発展するのを手助けすること─を実現する活動となることはなかったのである。

新型コロナウイルスに打ちのめされたブラジルにおいて、この「生き残りの文化」の一つの側面が悪い形であらためて顕在化しているのが、同国のジャイル・ボルソナロ大統領のクロロキシンに対する執着である。それは、隔離政策を提唱する科学者と社会的距離の政策に反対する権威主義的な政治家との間の文化的対立以上のものである(Levi 2020)。この国を襲っている世界的な流行病(pandemia)と政治的な地獄絵 (pandemonio político) ─2020年5月27日時点で、人口2億1000万人のラテンアメリカ最大のこの国で、患者数は39万1000人を超え、死者は2万4512人を数え、ラテンアメリカで最も感染している国となった─を悪化させている政治的な次元の問題をはらんでいるのである。

クロロキシンとヒドロキシクロロキンのあいだには違いがある─前者は後者よりも毒性が高い─にもかかわらず、ボルソナロはその両者を称賛し、自ら尊敬するドナルド・トランプが称賛することを止めた後も、双方への称賛を続けた。ボルソナロのそうした姿勢は、隔離政策への反対と関係していた。2月26日にブラジルで最初の感染者が判明して数週間後、ボルソナロは、「垂直的」隔離と呼ぶ政策を擁護した。それは、ほかの国で実施されていた「水平的」隔離政策とは異なり、高齢者のような感染リスクの高い人々のみの隔離を主張するものだった。4月始め、垂直的にも水平的にも、隔離政策が一様には実施されていないことが明らかとなると、新型コロナウイルスの拡大を抑制しようとして学校や商業施設、交通網を独自の判断で閉鎖していた州知事に対する激烈な闘いに乗り出した。

ヒドロクロロキシンとは区別することを止めたボルソナロ派の言説では単に「クロロキシン」とだけ呼ばれた薬は、地方の広い地域で見られるマラリアに対して使われる薬として、ブラジルではよく知られた存在である。そうした高い認知度にくわえ、安いし無害であるといった議論や、「ほかに失うものはない」といった口車も、クロロキシンの使用を正当化した。その効果に疑念があることや心臓疾患の副作用の危険性があるにもかかわらず、クロロキシンの使用が広く宣伝されたのであった。こうして、「生き残り文化」の典型である、一時しのぎの解決のパターンが繰り返された。4月始めにはクロロキシンは重篤な場合に対してのみだと確言していたボルソナロだったが、ほどなくすると、あらゆる患者にその使用を推奨するようになった。同時に、大統領は国家衛生監督庁(ANVISA)に圧力をかけてクロロキシンを承認させたうえで、クロロキシンを有する薬物の関税を撤廃し、クロロキシンを国内生産するために原材料をインドから輸入し、さらには、陸軍の研究所が100錠以上のクロロキシンを生産するように命じた。その数は、2019年にブラジルで生産されたクロロキシンが25万錠であったことからすれば、大幅な増大である。

「生き残り文化」のほかの事例と同じように、ボルソナロにとって重要なのは、その政府が、貧困層の人々にとって触れることができ、理解することができる何かをしていること─つまり、何らかの恩恵を提供し、奇跡の「マジック弾」に対する期待を高めること─を示すことであった。こうして、ブラジル大統領は、ほかの政治アクターと交渉して首尾一貫した政策を編み出すことを避けたわけである。ましてや、この世界的な流行病のもとでさらに脆弱性が高まることになった貧しい人々の生活条件を変えることを考えることすらなかった。ボルソナロ派にとっては、すべてが熾烈な政治闘争の一部であって、その闘争により、「人道的」とされる既存体制反対の指導者が、「伝統的」かつ「無神経な」政治家や科学者に対峙する構図が明らかになったのである。クロロキシンに対する執着は、二人の厚生大臣の辞任の主要な理由の一つであった。ルイス・エンリケ・マンデッタとネルソン・テイシは4月16日、5月15日にそれぞれ辞任した。両社とも、クロロキシンの使用は慎重にするよう進言していた。それは、米国医学学会誌とニューイングランド医学学会誌が、抗生物質アジスロマイシンと併用しても、クロロキシンに効果がないことを5月半ばに報告したことで、確認された(Jucá 2020)。それらの証明は、科学的知見を拒否する特徴を持つボルソナロ派によって無視された。3月末には、ボルソナロは、世界的な流行病となっているものは、「軽い風邪」(“gripezinha”)だと確言するに至った。テイシの辞任後、ボルソナロは公の発言をしていないが、ツイッターで、「いかにして夢の抗体を獲得するか」と題したビデオを公開し、そこである医師が、世界的な流行病に対する一人の人物の命運は自らの抗体に左右されると確言している。つまり、社会的な距離とは関係なく、個々人の脆弱性が死という運命の説明要因である、というのである。こうして、クロロキシンの賛美は、新型コロナウイルスは人口の70%に感染するというボルソナロ派の確信を伴っている。

ボルソナロのクロロキシンへの執着は、その政治目的を達している。異端の解決方法は、ボルソナロが醸成している救世主信仰を焚きつけている。ボルソナロは、その大統領としての任務は、キリストのような宗教的指導者の受難の連続であると主張している。しかもそれは、州知事による隔離政策の「専制支配」に反対する自らの支持者に対して、無条件の忠誠を要求する一つの方法でもある。ボルソナロにとって、危機はまた、全員にたいして自らを押し付けるという熱望を実現する一つの機会ともなっている。軍事独裁を称賛する大統領によれば、そのクロロキシンを適用する自らの権利は問答無用である、なぜなら彼は国の「指揮官」であるためである。大統領罷免を惹起しかねない連邦警察への度を越した介入についての調査から注意を逸らすことも、大統領にとっては同様に重要なことである。

もし、ボルソナロがクロロキシンで成功を収めるならば、それは、実際には、ウイルスに感染した人々の大多数が自然治癒することにより死亡率が低くなるということになろうが、ボルソナロは自身による勝利であると主張するだろうし、たぶん、政権にとどまり続ける可能性も高まるだろう。もしボルソナロが失敗すれば、クロロキシンへの執着ならびにブラジルでの新型コロナウイルスやその地獄絵によるその他の原因によってボルソナロの政治的な自己破壊に帰結するだろう。願わくば、ボルソナロの失敗が、さらに多くの生命と、公衆衛生の「生き残り文化」定型への卑劣な回帰という犠牲を伴って起きないように。

 

2020年6月1日 脱稿

 

参考文献

  • CUETO, Marcos & PALMER, Steve. Medicine and Public Health in Latin America A History. Nueva York: Cambridge Univ. Press, 2016.
  • BERLIVET, Luc: LOWY, Ilana. “The problem with chloroquine: Epistemologists, methodologists, and the (mis)uses of medical history”. In: Revista História, Ciências, Saúde – Manguinhos (Blog). 29 abr. 2020. Acess May 11, 2020.
  • JUCÁ, Beatriz. “Brasil perde segundo ministro da Saúde sob pressão de Bolsonaro para abrir economia e por uso da cloroquina”. El País. May 15, 2020. Access May 16, 2020.
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マルコス・クエト: ブラジル・オズワルド・クルス財団教授。近著に、Marcos Cueto, Theodore Brown and Elizabeth Fee, The World Health Organization, a history. Cambridge: Cambridge University Press, 2019, など。

 

Citation

マルコス・クエト(2020)「歴史的な視点からみたラテンアメリカにおける疫病とブラジルでのクロロキシン」 CSEAS NEWSLETTER 4: TBC.