ペルーで最初の新型コロナウイルスの感染が確認されたのは、今年の3月6日である。スペインでの休暇から帰国した、ラタム (LATAM) 航空のパイロットであった。この「最初の感染事例」が判明すると、患者は直ちに隔離され、家族や接触者などの検査が行われ、そのなかにやはり感染者が発見された。3月19日には最初の犠牲者が出た。高血圧を患った78歳の男性であった。死者は4月5日に100人目が出た後、4月14日に230人、4月20日に400人、そして4月25日に700人、4月27日は728人に達した。感染者は、4月20日が1万5,628人、4月25日が2万5,331人で、4月27日には2万7,517人を数えた。
ペルー政府の反応は劇的であった。3月15日に非常事態宣言が発出され、それは大統領令044-2020PCM によって4月27日まで延長された。非常事態宣言で、集会と移動の自由が制限されることとなった。また、不要不急の外出が禁止となり、午後6時から午前4時までは自宅に留まることが義務づけられた。生存に不可欠な事情でないかぎりは、家の外に出られないのである。その不可欠な事情とは、食料品の購入や薬局での薬の購入、そして銀行での手続きである。3月20日には厚生大臣が、国際医療の専門家であるビクトル・サモラに交代した。
新大臣のもとで、あらたな措置がとられ始めた。たとえば、社会的な場に出る場合はマスクの着用が義務づけられた。同時に、新聞、テレビ、ラジオ、SNSをつうじて、新型コロナウイルスの感染方法について説明する啓発活動が開始された。また、パンデミックと隔離措置の経済への影響─その経済は70% がインフォーマル(非公式)で、社会的な場における日々の売買活動によって成り立っている─を緩和するため、政府は低所得世帯にたいして380ソル(100ドル)の支援金を与えた。
他方、首都リマの地方政府は「私は家に留まる」(#Yomequedoencasa) と銘打った、隔離措置を推進するキャンペーンを展開し、政治家や芸能人、メディアの協力をえて満足のゆく成果を収めた。
ペルー社会の反応は、一般的には、全国的な隔離措置をしぶしぶ受け入れる、というものであった。マルティン・ビスカラ大統領の支持率は80% に跳ねあがり、外出制限などの社会的な隔離措置への反対を呼びかけた政治家や政治団体は疑問視された。ペルーの幾つかの地方、具体的には北のピウラ州やランバイエケ州、東のロレト州では、政府の措置に従わない市民がより多く観察されたものの、一般的な傾向としては、政府の措置に忍従する姿勢であった。最も繰り返し批判が聞かれた点があるとすれば、それは公衆衛生の根本的な問題、つまり病院でのベッドの不足、人工呼吸器の不足、病気の検査体制の不備などに関してであった。
今回のパンデミックの影響の一つは、歴史、とくに公衆衛生の歴史の再評価である。テレビ、ラジオ、新聞などのメディアは、隔離措置の期間中、公衆衛生の歴史を研究する者にたいして繰り返しインタビューを行ってきている。マスメディアの関心は、とくに、世界ならびにペルーにおけるパンデミックの過去の経験について知り、そしてその過去の経験からの教訓をえることにむけられている。歴史にたいしての実践的な接近、つまり、過去の経験で成功した例から現在の状況に応用できることを探求する試みである。
2020年4月25日
和訳 村上 勇介
筆者紹介
ホルヘ・ロシオ:ペルー・カトリカ大学教授、同大学リバ・アグエロ研究所所長、英国マンチェスター大学博士。20世紀のペルーならびに公衆衛生の歴史を研究。著書に、Rastros de la Salud en los Andes (2009), Prensa, conspiraciones y elecciones en el Perú (1930-1960) (2015), Salud Pública en el Perú del siglo XX (2017) など。
Citation
ホルヘ・ロシオ. 2020. “新型コロナウイルス─ペルーの事例─” CSEAS NEWSLETTER, 78: TBC.