Philippines

フィリピンのCOVID-19対策
──国家の力の限界──

鈴木絢女
同志社大学
Philippines

フィリピンのCOVID-19対策
──国家の力の限界──

 

新型コロナウィルス感染症がもたらしたのは、公衆衛生上の危機にとどまらない。コロナは経済・社会のデジタル化を加速させ、国際協力の脆さをさらけ出し、覇権を争う米中二大国の対立を激化させ、世界中の国家の能力や本質を浮き彫りにした。こうしたなか、フィリピンは国家の力の限界を露呈することになった。

 

フィリピンにおける感染状況の推移

6月19日現在、フィリピンにおける新型コロナの感染者数は28,459人、回復者数7,387人、死者数1,130人である(DOH(保健省), 19 June, 2020)。これらの数値は頻繁に修正され、整合性を欠くこともしばしばあり、統計値の正確さそのものが議論の対象となっている。とはいえ、フィリピンはヨーロッパや南北アメリカで見られるような深刻な感染の急増をうまく回避していると言えるだろう。検査能力や病床数が拡充されたことで、日々の死者数の増加も随分と緩やかなものになり、この2週間ほどで回復率は飛躍的に上昇した。だが、感染者の増加はまだ収まっていない。

フィリピンにおける新型コロナウィルス感染者数、回復者数および死者数(2020年1月16日~6月16日)
出典:フィリピン保健省新型コロナウィルス感染症(COVID-19)に関する最新情報 https://www.doh.gov.ph/2019-nCoV(最終アクセス2020年6月20日)1

 

フィリピン政府がこの数か月間、世界的にみても最も厳しいロックダウンを実施してきたことを考えると、感染者の増加が続いている状況は不可解でもある。フィリピンで最初の感染者が出たのは2020年1月30日、最初の死者が出たのは2月1日だったが、これらはいずれも武漢からの中国人渡航者の事例であり、その翌月に出た感染者は渡航歴のあるフィリピン人だった。政府が初めて国内感染を確認したのは3月6日のことだ。この事態を受け、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は3月15日、マニラ首都圏に「一般的なコミュニティ隔離措置(General Community Quarantine、以後GCQ)」を敷いた。これにより、マニラ首都圏を出て国内の他の地域に向かう人々の大移動が生じた。さらに2日後には、感染者の急増を受けてドゥテルテ大統領はルソン島全域に「強化されたコミュニティ隔離措置(Enhanced Community Quarantine、以後ECQ)」を敷いた。ECQは、食品や医療、金融など日常生活に不可欠な事業やサービスを除いて、人の移動を制限する。この措置の下、公共交通機関や学校、職場は閉鎖され、事業所や官公庁では職員の在宅勤務(WFH)が要請された。これに続き、5月15日にはマニラ首都圏に「修正を加えた強化されたコミュニティ隔離措置(Modified ECQ、以後MECQ)」が敷かれた。この隔離区分の下、一部の経済セクター、とりわけ製造業や建設業などは、実際に出勤する労働者の比率に上限を設けた上で事業を再開することが認められた。

 

経済への影響と政府の対応

マニラ首都圏では、2カ月半に及ぶECQとMECQからGCQに移行して2週間以上が経った。ショッピングモールやその他の事業所の営業は認められ、現地の一部の公共交通機関は乗客定員に制限を設けて再開された。だが、景気は低迷している。例えば、ライトレール・トランジット(LRT、次世代型路面電車)はラッシュ時以外、多くの座席が空いたままで運行している。交通量は少なく、都市部の空気も比較的きれいで、マニラとは思えないほどである。

このような状況をもたらしたのは、在宅勤務などの新たな取り組みだけではない。フィリピン国家統計局(PSA)によると、同国の第1四半期のGDPは0.2%縮小し、失業率は過去最高の17.7%を記録、730万人の労働者が職を失った(PSA, 7 May, 2020)。また、大企業の純利益は前年に比べて大幅に落ち込み、例えばサン・ミゲル社では91%(San Miguel Corporation 2020)、アヤラ社では17%(Ayala Corporation 2020)のマイナスとなった。

だが、他のアジア諸国の多くで経済再開に向けた措置が講じられる中、新型コロナとそれがもたらした社会的・経済的影響に対応することにフィリピン政府は消極的にみえる。6月15日、政府はマニラ首都圏のGCQ延長を決定した。しかし、この発表の1週間前、上院は1.3兆ペソ(約2兆7,676億円)規模の「フィリピン景気刺激法案(Philippine Economic Stimulus Act)」、および1.5兆ペソ(約3兆1,900億円)規模の「新型コロナ失業削減のための景気刺激法案(COVID-19 Unemployment Reduction Economic Stimulus Act)」の可決を見送った。

この2つの法案は下院をすでに通過しており、厳しいロックダウンの経済への影響を緩和する狙いがあった。だが、財務大臣はこれらの法案が国内総生産(GDP)の8.4%に相当するフィリピンの財政赤字を倍増させ、法定上限とされる値を超えると警告した(Inquirer Net, 8 June, 2020)。これまで、フィリピン政府は「公平と連帯のフィリピン復興計画(Philippine Program for Recovery with Equity and Solidarity/ PH-Progreso)」の下で1兆7,400億ペソ(約3.7兆円)規模の財政措置を講じてきたが、マレーシア(約7兆9,135億円)、インドネシア(約7兆7,839億円)、タイ(約6兆9,850億円)などの近隣諸国と比べると、フィリピンの対コロナ財政支出は半分程度にとどまる。

だが、他のアジア諸国の多くで経済再開に向けた措置が講じられる中、新型コロナとそれがもたらした社会的・経済的影響に対応することにフィリピン政府は消極的にみえる。6月15日、政府はマニラ首都圏のGCQ延長を決定した。しかし、この発表の1週間前、上院は1.3兆ペソ(約2兆7,676億円)規模の「フィリピン景気刺激法案(Philippine Economic Stimulus Act)」、および1.5兆ペソ(約3兆1,900億円)規模の「新型コロナ失業削減のための景気刺激法案(COVID-19 Unemployment Reduction Economic Stimulus Act)」の可決を見送った。

 

国家の力不足

これに加え、国家の力不足を示す出来事は数多い。例えば、ロックダウンによる影響を大きく受ける低所得層1,800万世帯を対象として、5,000~8,000ペソ(約1万~1.7万円)を支給する「社会改善プログラム(Social Amelioration Program、以下SAP)」(総額2,050億ペソ/約4,364億円)は、実施から2カ月経っても対象者への給付を終えることができなかった。主な理由は、対象となる世帯を網羅した名簿が無かったためだ。受給者を特定しようと躍起になったフィリピン社会福祉開発省(Department of Social Welfare and Development)は、携帯電話の利用者にSMSで「あなたはSAPの受給者ですか?(Ikaw ba (ay) benepisyaryo ng SAP? )」と尋ねる手段に出た。また、受給者名簿がある地域でも、SAPの給付基準が必ずしも明確ではないために不満がくすぶっている。バランガイ(barangay、地区)ごとに定められた受給者数割り当てが、本来受給資格のある人の数よりも少ないという指摘もある。

国家の力が限られる中、インフォーマル・セクターの人々は、家族や友人、雇用主の善意に頼ってなんとか食いつないでいる。また、市政府は人々の生活を支えるうえで重要な役割を果たしているが、市によって支援内容が大きく異なる。例えば、ある自治体では1世帯あたりイワシの缶詰2缶、ゆで卵1つとバナナ、他の自治体では登録有権者1人あたり5,000ペソの現金が支給されるといった具合だ。

 

公共財を提供する民間セクター

ECQ施行前夜の演説で、ドゥテルテ大統領は民間セクター、特に大企業に対し、食品製造や雇用者の所得保障、賃料や公共料金の支払猶予や免除などの面で協力を要請した(PCOO, 16 March, 2020)。これに応じて、サン・ミゲル社やアヤラ社、MVPのグループ企業、SMグループ、アボイティス社(Aboitiz Inc)、ゴコンウェイ(Gokongwei)グループなどの大企業は、コロナ対策に積極的な役割を果たしてきた。これらの企業の多くは、従業員の給料を全額支給し、ボーナスも前倒しで払い、仕入れ先や販売業者、中断された建設事業の労働者たちにも支払いを続けている。さらに彼らは、医療従事者や検疫所の警察官や軍人に対して、備品や車両、個人用防護具(PPE)、食品やシェルターを提供した。また、不動産大手は賃貸料を免除し、公共事業者は支払猶予を認めた。この他、企業は多くの検査施設の建設も手がけ、スタジアムや貿易センターを隔離センターに改造してベッドや間仕切りを設置し、医療品や電気、Wi-Fi接続の供給を確保した。

フィリピンの大企業は、一般的に民間セクターに期待される役割を大きく超えた活動をしている。例えば、サン・ミゲル社は、5月下旬までに新型コロナの対策費として130.8億ペソ(約277億円)を充当している。これに含まれるのは、税金等の早期払い、自社従業員と第三者に継続して支払う給料、地方自治体や病院、検疫所に配布する消毒用エタノール、さらには医療従事者への高速道路料金免除、隔離施設の建設と電気代の一部負担、地元生産者からの継続的な食品調達などである。ロックダウンの影響を受けたコミュニティに食料を無料で届けるための費用もここから賄われる。こうした支援に加えて同社は、感染拡大初期の段階で、食料の安定供給を約束し、自社従業員の検査施設も自前で作っている。

 

暴力機構、自由の制限、そして暗い見通し

このように、民間セクターが公衆衛生や所得保障、食料や医療品の供給、地元経済の活性化など、本来は政府の任務とされる役割を積極的に担う一方、国家のもう一つの顔が露呈した。それは国家の暴力機構としての横顔だ。

GCQ施行前夜の3月13日、警察と軍のトップを両隣に座らせたドゥテルテ大統領がテレビで演説し、両機関の指示に従うよう、繰り返し国民に言い聞かせた。検疫所に制服要員が居るだけでも威圧感は十分なのだが、大統領は警察と軍、バランガイの職員に対し、隔離措置に従わない者を撃てと命じた。ケソン市で行われた、救援物資の不足や遅延に憤慨した市民による抗議を受けての発言である。

デ・ラ・サール大学で反テロ法案の廃止を訴える抗議者たち(撮影:著者)

 

6月12日のフィリピン独立記念日に行われた「2020年反テロ法(Anti-Terrorism Act 2020)」に抗議する平和的なデモの現場でも、国家はその強権を見せつけた。2020年反テロ法は、テロリズムの定義を拡大し、曖昧にして、逮捕状無しでテロ容疑者を逮捕し、最長で24日間拘束する権限を認める。同法に反対するデモはオンラインでも組織されたが、警察による警告や、コロナ感染のリスクも顧みず、各大学でも行われた。デ・ラ・サール大学のデモ現場では、十数人の抗議者に対して特殊部隊を含む50人強の警官部隊が配置された。

デ・ラ・サール大学の構外に配置された警官部隊(撮影:著者)

 

フィリピン政府が今回のコロナ禍に臨んで選んだ厳しいロックダウンという手段は、主に強権によって支えられている。今のところ、ロックダウンは壊滅的なコロナの大流行をうまく阻止している。だが、これが持続可能な手段だとは到底考えられない。ロックダウンは経済にひどい打撃を与え、失業率と貧困を増大させた。また、出口戦略があるようにも思われず、学校閉鎖も続いている。さらに悪いことに、人々が声を上げる空間はますます狭まり、政府が復興の取り組みに関する貴重なアドバイスを得る機会が妨げられている。

この20年間、フィリピンは持続的な成長を享受してきた。だが、コロナ後の見通しは暗い。

 

2020年12月22日 公開(2020年6月23日 脱稿)

翻訳 吉田千春、京都大学東南アジア地域研究研究所、鈴木絢女

 

 

追記

このエッセイの脱稿後、フィリピンにおける新型コロナ感染者数は急増し、7月から8月にかけて1週間で2万人を超える感染者が出た。その後、感染拡大は緩やかになり、11月半ば以降には週あたりの感染者数が1万人を切るようにはなったが、12月9日現在で累計感染者は444,164人(うち回復者408,942人、死者数8,677人)で、世界ランキング27位、東アジアでもインドネシアに次ぐ2位となっている。

感染者数の約45%が集中するマニラ首都圏は、感染者急増を受けて2週間のMECQの下におかれ、少なくとも2020年末まではGCQが執行されることになっている。マニラ首都圏およびダバオ市など7つの都市を除く地域は、より規制の緩い「修正されたGCQ(MGCQ)」の下に置かれているが、クリスマスを目前に政府は警戒を強めており、キャロルも禁止された。

長期にわたるロックダウンの経済への影響は甚大である。2020年第2四半期の経済成長率は-16.9%、第3四半期は-11.5%となり、第4四半期もマイナス成長が続くと見られている。第3四半期は、需要面からみると総固定資本形成(-41.6%)および民間消費(-9.3%)がマイナス成長となり、政府消費(5.8%)が経済の牽引役となった(PSA 2020)。

この状況に照らすと、政府による経済対策は明らかに不十分である。8月、新型コロナ対策および経済対策として「バヤニハン2法(Bayanihan to Recover as One Bill)」が成立したが、実質的な財政規模は1,400億ペソ(約3,036億円、12月10日時点)と、6月に政府の圧力で廃案になったフィリピン景気刺激法案および新型コロナ失業削減のための景気刺激法案の約1/20の規模にとどまった。11月には経済回復を名目として法人税率引き下げを加速させる法人税改革法案(Corporate Income Tax Reform and Incentives Reform Act)が可決したが、これがただちに民間投資や消費を回復させると考えるのは、あまりに楽観的といえる。

その一方で、暴力を用いた抑圧は苛烈さを増している。パンデミック以降、「麻薬撲滅戦争」の名目での超法規的な容疑者の殺害が50%増加したというレポートもある。また、国軍による共産主義武装組織の掃討も本格化している。報道によれば「国内の共産主義者による武力紛争終結タスクフォース(National Task Force to End Local Communist Armed Conflict)」に割り当てられた2021年度予算は、前年度の17億ペソ(約37億円)から191億ペソ(約414億円)へと大幅な増額となった。

 

2020年12月10日

参考文献

 

注釈

  • 1 6月4日以降の感染者数と6月7日以降の回復者数、5月30日以降の死者数については、地方政府等からの報告の遅れなどにより、後日大幅に修正される可能性がある。この数字以外にも、統計の正確さに疑義があることも忘れてはならない。

 

筆者紹介
鈴木絢女(すずき あやめ): 同志社大学法学部教授。現在はデ・ラ・サール大学教養学部政治学科客員教授。

著者近影

 

Citation

鈴木絢女(2020)「フィリピンのCOVID-19対策 ──国家の力の限界──」CSEAS Newsletter 4: TBC.